リストラ生活節約術 76記念と思い出

 昨日話題の映画を見に行った。日本の興行収入記録を塗り替えたというやつだ。
 友人とチケット売り場で待ち合わせている間、そこで売られているグッズを眺めていたら、アニメ映画なのでキャラクターの絵がついた色々な小物が並んでいる。こういうのって、子供にせがまれて、もあるだろうが『記念に買う』こともあるだろう。『記念』って何だ?

 人が『記念』を好きな理由は

 映画や観劇に行った時に買うパンプレット。テーマパークに行った時のキャラクターグッズ。旅行先での食品以外の名産品(焼き物とか織物)を、せっかく来たのだから『記念』に買おうとする。純粋に欲しいなら今の日本では取り寄せられない物は殆ど無いから、「産地だからちょっとお得価格ならいいか」で買ってるはず。それに「記念だから」が後押しする。

 『記念』とは忘れない為のもの、それを見て思い出す為のものだ。記念碑、記念館、記念イベント。それが無いと忘れ去られてしまうものは限りない。それ程までに人間は過去の事を忘れていくからだ。
 脳は毎日新しい事を刻んでいき、古い記憶は引き出しの奥深くに押しやって、終いには消滅する。『記念』に触れる事で人は古い引き出しを引き出してそれを見ることが出来る。
 歴史的な出来事などを忘れない為のパブリックな記念はさておき、どうして私達は『記念』を個人的に欲しがるのだろうか。それは、自分の人生の幸せな瞬間を確認したいからである。

 映画や観劇で感動した、あるいは大切な人と一緒に見たという喜び。旅行を楽しむことができる幸せ。一般には写真も撮るが日本人は写真を自宅に飾る習慣はあまり無いから、それらを日常でしばしば目には出来ない。(欧米人ってすごい量の写真を部屋に飾ってたりするね)しかし小物ならできる。日用品から飾り物まで、目にする度に無意識に「そうそう、この時自分は楽しかった。幸せだった」となごむ。大げさに言えば自分の人生が肯定できるのだ。不幸では無かったと。あの、写真を含めて過去の物を見た時に感じる懐かしさと愛おしさはそうだと思う。

 坊主は憎くても袈裟は別

 逆もまた存在する。嫌な思い出に関連するものを捨ててしまうことだ。典型的なのは別れた彼氏から貰ったものは全部捨ててしまう、というケース。「もうあんな奴の事(あんな奴に傷つけられた不幸な時の自分)は思い出したくない!」となる。『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』である。

 余談だが、そこで「ん?何で坊主?」と思ったので調べてみた。
 この諺は江戸時代からのもので、その時代に権力を握って強引な民衆管理や汚職を繰り返していた寺の僧侶に対する民衆の感情が元になっているという。江戸幕府が設けた『寺請制度(てらうけせいど)』の為に、全ての民は寺の檀家となって『寺請証文』(身分証明みたいなもの)を寺から受けねばならなくなった。これの発行に絡んで僧侶の権力が高まり、横暴が増えたのである。民は『寺請証文』が無いと仕事や旅行にも差し障るため、仕方なく搾取されていたらしい。

 話は戻るが、私はその点に関しては「物には罪が無い」の主義である。別れた夫が残していったものや、前の職場でパワハラした上司から貰った物も使えるものなら今も使っている。それでその関連した人間を思い出さない訳ではないが、対人関係はコインの裏と表の様なものだ。いい時もあるし悪い時もある。100%辛く当たられたなんてことはまずない。
 夫とは、コインは裏や表を向きながら残念な事に最終的には裏で終わって別れる事になってしまったが、表の時は私を幸せにしてくれた。パワハラ上司も楽しく語らった時があったのだ。私はそれらの物を使う時は、コインが表だった時の事を思い出すようにしている。

 それが自分の為だからだ。どんなに関連グッズを遠ざけても、記憶は完全には消せない。何かの拍子でひょっこり顔を出す。それなら記憶を記憶で上書きする。出来るだけいい記憶で。その方が心が楽になると考えている。

 個人的に『記念』が要らないワケ

 ちなみに私はあえて『記念』の物はここ数年は買ってない。映画や観劇でもパンフは買わないし、旅行でも買うのも食べたり使ったりして無くなるものだ。どうかしたら写真も買わない時がある。理由は3つ。

 1.値段が高いから
 特に有料パンフレットは高い。ただでさえチケット代や交通費という出費がかかっているし。テーマパーク等にはそもそも行かないが、たとえ行っても自分にマスコットキャラの小物は買わないな。値段見て。

 2.物を増やしたくないから
 断捨離中である。また飾りものは部屋の雰囲気に合わなかったり、掃除のジャマになったり。最近行った旅行で買ったものは、イタリアのミラノのスタバ(世界で一番美しいスタバなんですって!)で買った限定ステンレスボトル以外は全部食べ物である。ホテルのアメニティも持って帰らなくなった。

 3.見ないから
 前述のパンフレットや写真、DVDは後日見る事は殆ど無い。写真も最低限買って(1イベントに1枚)まだ引き出しに放り込んでいる。(リストラ中に整理せねば!)最近10年以上昔に見たミュージカルのパンフが出てきたが、内容も誰と行ったかもまるで思い出せない。そんなものである。
 今は写真は携帯内に収めれるからジャマにはならないが、やっぱり見る機会は殆どない。そもそも過去を懐かしむより、未来の計画を立てるのに忙しい。記憶はどんどん失われているかもしれないが、本当に大切なことは忘れないだろうし、これからも記憶はリアルタイムでどんどん入って来るので過去はもうどうでもいいのである。

 結局大切なのは今と未来のみ。過去が不幸より幸せにこしたことはないが、アルバムを捲ってしみじみするのは100才になるまで取っといて、今と未来の幸せに何か行動した方がいい。

 今か未来か

 今と未来とどちらが大切か。難しい問題だ。コロナ禍の自粛でもこれを悩んでいる人は多いだろう。未来の為に今を我慢するケースとは。戦時中とか受験とか、今とか。
 しかし何事もバランスが大事と思う。自分の中でのバランス。
 私は今:未来のバランスは6:4だ。勿論状況で多少の変化はあるだろうが、今を大事にしたい。未来なんてどうなるか分からないでしょ。今だけ良ければ、なんて刹那主義は身の破滅だけど、今より未来を優先はしない。、未来の為に今を我慢するのも程々に。未来も過去も『今の積み重ね』だからね。

 さて、例の映画の関連グッズが飛ぶように売れ、ネットでは転売ヤーがプレミアム価格で売っているとか。コレクターもいて大量に集める人もいそうだ。だが、ブームが去り自分も飽きが着た後、それらをどうするのだろう。今のご時世、経済効果という面では良いだろうが、モノたちの末路を思うと‥。
 人の事は言えない。私はコレクターではないが、一時期ネットオークションにハマって着れもしないのに服を買いまくった事がある。若い時は自分の必要量や許容量が分かりにくいもんね。

 最近『指の数理論(??)』を作った。人がちゃんと管理できる数は手足の指の数まで。つまり20までだ。その中で手の指(1軍)と足の指(2軍)に分けられ、普段使い食器や季節の服はこの中で納めるというものである。今、昔買いまくった服を手に取って「これは手の指さん」「こっちは足の指さん」と分けているところである。

 それではまた次回。ごめんなさいませ。

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