リストラ生活節約術 78 幸せを待つ幸せ

 今日はクリスマスだが、何かを特別にする予定はない。そもそも私はクリスチャンではないし。家に子供がいた頃は一応、チキンとケーキとプレゼントは用意したが。
 仕事をしていた頃は職場(病院)で入院患者にクリスマス食が出るので、職員はそのお相伴に与かっていた。お産での入院のママ達が殆どなので治療食ではない。よくあるクリスマスオードブルやケーキ等だ。決して母乳には良い食事ではないが、よっぽど乳が張って大変な状態でなければ「食べ過ぎない様にね」と注意を促すだけである。人生に食べる楽しみは定期的に必要だ。

 行事はご馳走を食べる為の言い訳⁉

 食生活が貧しく、飢えと戦いながら季節の物しか食べる物が無かった遥か昔は、この定期的な行事が日々の楽しみだったろう。この日だけはいつもは食べれない贅沢な食べ物を、いつもより多めに食べることが許された。つまりそれ以外は我慢の日々だったのだ。
 お正月、それに続く七草がゆや鏡開き、節分や節句。災害や疫病になすすべも無かった人々は神や縁起にすがるしかなく、次々と今より遥かに多く定められた行事をこなしていた。その日だけのご馳走を楽しみに。

 行事のために、仕事を休み道具を揃え蓄えを使う。ない方が生活は楽になるだろうに『やらなけれはもっと大きな厄災に見舞われる』と信じて止める事ができない。だが、やったところで本当に厄災を防げるとも限らない不安。それを宥める為にもご馳走を食べるのだろうか。まあ、面倒くさい神事をやりとげた自分たちへのご褒美でもあるんだろうな。

 そして楽しいことを待つのも楽しい。遠足を指折り数えて待つように。「もういくつ寝るとお正月」である。欧米ではシュトーレン(甘い日持ちするリッチなパン)を少しずつ食べながらクリスマスを待つそうだ。

 余談だが、シュトーレンは今スーパーでも売っているがお値段が高い。。スタンダードの大きさで1000円~1500円。で、お高いものは自分で作る主義の私は作ってみた。
 お高いはずである。使うバターの量が半端ない。生地にも入るが、焼き上げた後に溶かしバターをまんべんなくかけるのである。だから周りにあんなに粉砂糖が張り付くのだ。そのほかにもミンスミート(ドライフルーツをラム酒で漬けたもの)や、スパイスやナッツ。コストがかかりすぎる。
 そして最大の難点は、このカロリーのオバケを一人で粛々と食べる事である。クリスマスのご馳走や忘年会で太る前にシュトーレン太りになってしまった為、自分で作るのはそれっきりである。

 私のもう亡くなっている父は昭和1桁生まれだったが、子供の頃は正月はお腹いっぱいモチが食べれたので大層楽しみだったそう。その頃はモチなんて年に数回しか口に出来ないご馳走。いつでも食べられるものはもはやご馳走の座からは転落し、今や若い世代は正月に雑煮も食べない程にモチ離れしている。

 『飢え』を知らない幸せと不幸

 日本はその後太平洋戦争に突入し、今の80代以上は飢餓の時代を経験している。私は『飢え』は経験したことはないが、人間が戦や飢饉でどうなったかは書物で知っているし、今でも貧困や内乱で飢えている人達がいることを知っている。だからといって何も出来ないのだが。

 たとえば、フランス中世の闘いで籠城で食べ物が無くなり虫や動物を食べつくし、毛皮を煮だしてゼリーを作って飢えを凌いだとか、山で遭難した飛行機で生き残った人が凍っている亡くなった人を食べたとか、戦時中アジアに出兵した日本軍がどのように飢えに苦しんだかとか。
 今でも貧困にあえぐアフリカの港で、船から積み下ろされる荷から零れ落ちる穀物を子供達が一粒一粒拾っている。東南アジアでゴミの山から売れそうなゴミをあさって、見つからない日はご飯が食べれない子供達もいる。日本のすぐ近くの半島の国では毎年のように餓死者が出ているとも聞く。

 先進国の社会システムはこの『飢え』の問題を飛躍的に改善した。少なくとも自国においては。
 食の安全性の問題はまだ山積みだが、それも自分で気を付ける事ができる。今の日本人は『飢え』の苦しみを知らないだけに、『食べれる』事の幸せを感じない。だから平気で食べ物を捨てることが出来るのだろう。
 私の子供の時は「米一粒に神が宿る」と教えられた。米一粒作るのにも多くの人の手がかけられているのだから、粗末にしてはいけないと。
 ファミレスなどで食事を食べ残したりしていては、こんな事は子供に言えない。外食では食事の量の調整は難しい。だから私はあまり外食はしないし、外食予定の時は残りを持ち帰れるようにタッパーを持参する。持ち帰るのを恥ずかしいとは思わない。

 前の職場では夜勤で職員にも食事が出ていた。入院しているママと同じ物なのでご飯の量が多い。(お茶碗一杯半ぐらい?)それを多くのスタッフが半分位食べたら、残飯にしていた。
 私は見た感じで「食べきれないな」と思ったらラップに包んで持ち帰っていた。「厨房に少なくしてもらったら?」と言ったら「ママとスタッフを分けてご飯つぐのを面倒くさがれる」という事だった。入院患者からも残飯は出るので、今更スタッフ分の残飯が増えてもどうってことないということか。

 「美味しい!」と言って食べよう!

 美味しいかどうかは料理そのものの問題もあるが、誰と食べるかも重要。なぜ一人飯は味気ないのか。(味気なかったと記憶しているのか)それは誰かと食べると「美味しいね」と確認しあえる。言葉にする事で『美味しい』という記憶が強化されるだろう。
 そう言えば、最近ヒットしたアニメ映画で登場人物が駅弁食べながら「美味い‼」をひと口毎に叫んでいたな。10回は言ったんじゃないだろうか。私も一人飯でも「美味しい!」を声にしてみようかな。

 言葉にならなくても食べ方で美味しく思っているかは大体わかる。食べる事は幸せで、誰かが幸せな様子を見るのは嬉しい。ペットがエサ食べてるのを見るのが好きな飼い主は多いよね。
そして「これちょっと辛い」とか、「これ、初物だあ」と感想や意見を表出できる。不味かったとしても、それを誰かと共有したという記憶は決して不快ではない。だから「親しくなりたいなら一緒に飯を食え」である。

 そう、クリスマスに何もしないのは『一緒に食べる相手がいないから』に他ならない。例年ならクリスマスパーティーの一つや二つあるが、このコロナ禍で自粛ムード。職場で「メリークリスマス!」と言ってケーキ位食べるのも、今年はリストラ中で無い。

 まあいいや。今度誰かとクリスマスを過ごす時は、さぞかし幸せな気分を味合えるだろうから。それはどんなご馳走よりか美味なはずである。

 それではまた次回。ごめんなさいませ。

 

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