リストラ生活節約術 87 なんちゃって七草粥を食べよう

 1月7日の今日は、日本では七草粥を食べる日である。「人日(じんじつ)」ともいう。人日の由来は古代中国の書物『荊楚歳時記』で、それには「人日には7種類の若菜の汁を頂くこと」とあるそうだ。1月1日を鶏の日、2日は犬、3日は羊、4日は猪、5日は牛、6日は馬と続き、それらを殺さない日(食べない日)とした。そして7日は人の日。考えたら何やら恐ろしいが。
 七草とは、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ(カブ)、スズシロ(大根)。日本では江戸時代に広まった習慣だそうだ。
 今では7草の名を覚えているのは高齢者か、雑学自慢の人か、7草の栽培・販売業者ぐらいだろう。昔は教養として子供の頃に覚えさせられたらしいが、今はもっと覚えておかねばならない事が山ほどあるからねえ。
 日本に数多ある「無病息災」を願う儀式というか、縁起担ぎのようなものである。

 七草粥って食べなきゃダメ?

 近代になるまで人々は「無病息災」とは縁遠く、特に子供の多くは成人出来なかった。したがって、あの手この手で神様や縁起に頼ったのだ。1年を通してその手の行事は次から次とやってくる。今は食品産業がそれに合わせて利益を得るタネとなっているが。

 昨日スーパーにいくと「七草粥セット」が山積みされていた。透明容器に七草を揃えたモノである。主婦はこれを家できざんで粥を作ればいいだけだ。(昔は何回きざむかも決まっていたってよ)
 七草粥は子供にとって美味しいものでは当然ない。それどころか青菜が食べれない子供も多いだろう。実は私も子供の頃は嫌いだったのである。口直しの好物とセットで食べていた。お粥自体も好きでない人も少なくない。
 「正月で疲れた胃を休める為」ともいうが、これだけで食事を済ませる人がいるだろうか。おかずが油っこかったら無意味だ。

 今は私は美味しく食べることが出来ると確信している。もちろん自作した場合である。
しかし、七草粥を作るだけならあの「七草セット」は独り者には量が多すぎる。しかもお値段も高め。判で押したようにどこでも1パック398円。(たまたま?)消費税入れて約440円。
 ところが、一人前のレトルトの七草粥も売っていた。こちらは200円位である。一人用のクリスマスケーキ、一人用のおせち料理。今の世の中はお独り様が多いんだなあと実感。もちろん私はこれらを買わないけどね。一人で食べても美味しくないし、大体においてお独り様用って割高だ。

 レトルトの粘っこくドロッとしたお粥は好きではない。だが水からコトコト炊いた出来立てのお粥は美味しい。今日お粥を作る気満々なのだが、問題は「七草」である。
 セリ、カブ、大根は他にも使いようもあるし美味しいが、他のは野草である。昔、野草が薬だった時代の名残で、身体にはいいかもしれないが美味しくなさそう(美味しいものが現在野菜として食べられるに至ったと思っている)
 家から1~2分歩けば、草ぼうぼうの小山の様な公園があるのでいくつか見つかりそうだが、そこは犬の散歩コースにもなっているのでちょっとね‥。

 ということで、美味しい『なんちゃって七草粥』を作ることにする。七草はほんのちょっとでいいのだ。セリ、カブの葉と実、大根の葉と実、カツオ菜の残り、白ネギ、青シソ、小口ネギの7つ。最後の二つは薬味なので茹でずに最後に盛る。
 別に胃を休ませなければならないような正月料理は食べてないので、おかずは普通に焼き魚にしよう。

 正式な「七草粥」ではなくてもちゃんと家族の「無病息災」を祈って食べる、でいいんじゃない?やったから守られるとか、上手く行くという訳ではないのだからね。そうだったら誰も苦労しない。
 あ、食べさせる誰かがいたらきちんとしたのを作るよ?

 七草粥を食べる本当の理由は

 病にかかるのも、災害に会うのも、昔は「天の思し召し」だと思われていたが、今は誰のせいでもない、運が悪かったと言われる。自身の不摂生で病気になる事もあるが、感染症なんかはバリバリの感染者とそうとは知らずに接触したらそりゃうつる。その感染者も好きで感染した訳ではないだろうし。事故や災害等は運に左右される最たるものだ。

 最近、運について書いてある本の要約動画を見たが、やはり運は平等だそう。しかし運がいいか悪いかは本人の思い込みによるものが大きい。
 例えば道で転んだとして
「こんな何もない所で転んで自分は運が悪い」と思うか、
「転んだのに、かすり傷で済んで自分は運がいい」と思うかの違いである。

 後者はお気楽な、ただのポジティブ思考だという人がいるかも知れない。しかしそれがいい運を引き寄せるというのである。どうしてかというと前者は、
『転んだのは運が悪かったせい』
としているのに比べ、後者は何かのせいにしていない。
『転んだのは自分のせいであり、次からは転ばない様に考える』
つまりは他責思考自責思考かの違いである。
 「自分は運が悪い」と思い込んでいる人は、悪い事が起きれば運のせいと考え、鬱々とするだけ。しかし「自分は運がいい」と思うひとは悪い事に遭遇しても運のせいにせず、改善の為に動き出す。

 結果的に「自分は運がいい」と思い込んでいる方が事が上手く運び、いい運を享受することが出来るのだと説明していたような。
 もちろん自責の念が強すぎてそれに押しつぶされるのは良くないが。そういう人は「自分という人間が悪い」と考えている。じゃなくて「自分のどういう行動が悪い」という考え方に変えなくちゃね。

 七草粥を始めとする縁起担ぎの行事は「この行事をやったのだから、運が良くなるはずだ!」と思い込む為の昔の人の知恵なのかもしれない。

 それではまた次回。ごめんなさいませ。

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