幸せとは比較の問題だとつくづく思う。
一人暮らしになって、もうすぐ丸2年になる。特に昨年はコロナのステイホームやリストラもあって一人でいる時間がとても多く、時々孤独感にさいなまれた。働かなくて一人で家にいても(失業保険で)食べていけたのだから贅沢な話なのだが。
しかし、幸せとは「誰かと関わる事」と「自分の内面を見ること」のバランスがとれており、おのおので自己容認や心の平和が見いだせることである。そして一人暮らしだと日々の喜びや驚きなどを誰かと共有すること、例えば「これ、美味しいね」とか「今日はこんな事があってね」などと言い合う相手が欲しくなる。
だがそれは私の無い物ねだりの部分があるのもわかっている。人生とは上手くいくばかりではなくて、一緒に暮らす方が苦痛というケースも多々あるからだ。
家族というのは一番近くて、じつは最も難しい相手だろう。社会的な大人として誰かに依存して生きないが守られにくいのだ。
対等な関係は難しい?
人が二人いれば、程度の差こそあれ『弱者』と『強者』に分けたがる。『強者』は自分の利権を守りたがり、『弱者』は保護が得られる。親子、ひと昔前の夫婦や嫁姑、上司と部下、先輩と後輩。『強者』は『弱者』を守る代わりに自分の自由と意見を通す。だが、『弱者』はいつまでも『弱者』でなく、いずれ成長し保護を不要としだす。そしてその需要と供給のバランスが崩れていさかいが起きるのである。
他人なら距離をおけばいい。しかしそれが家族ならそうもいかない。他人相手なら取り繕ったり気を遣う人も、家族にたいしては遠慮が無くなることが多い。日々顔を突き合わせるから亀裂は益々深くなっていく。
特に親子は厄介だろう。一度手にした『強者』の利権は手放すのは困難だ。
子が生まれて20年近くも意のままにしてきたのだ。「老いては子に従え」なんて諺は鼻で笑う。特に同居しているなら、子が成人していても多くの場合は子が経済的な部分(例えば住宅費や光熱費、どうかしたら食費まで)親に依存している場合が殆どだからである。
これでは親としては「感謝されこそすれ、偉そうに言われる筋合いはない」と思うだろう。子供の方は子供の方で「親が自分の為に何かするのは当たり前」感覚から卒業していないから、あまり感謝なんてしてない。「経済的でラッキー!同居する代わりに多少のメンドウは見てあげよう」
そして親の方も具合が悪い時に病院に連れて行ってもらっても「子供が親のメンドウを見るのは当たり前」感覚だったらね。(以前、私は飲み会の際に最寄り駅まで車で迎えに来てくれなかった息子にプリプリ腹を立てた事があるな‥。)
人生を幸せで終わる為に
結局は一人前の社会人としての感謝の欠落が原因なのかね。
人間だから親子だろうと利害関係のバランスが悪けりゃ不満は出る。「甘えるな!」という事か。
私は末っ子で甘やかされて育ったと思う。若い時は特に甘えが強かった。幸いにも、いつも何とかしてくれる大人が近くにいてくれて、何かあったら「何とかしてもらいたい」と思ってた気がする。
だから甘えの強い若い人を見ると昔の自分を見る様で「無理ないか」と思ってしまう。成長の速度は人それぞれで、死ぬまで大人になり切れない人もいるだろう。だが、一緒に暮らす家族に対しては他人以上に『大人の対応』をするのが、日本人としては幸せになる早道かもしれない。
何故、ここで日本人という言葉がでてきたかというと。
お隣の国では「家族や親友、とにかく関係の近い人には迷惑をかけて当たり前。逆に甘えないのは水臭くよそよそしいと嫌がられる」と聞いたことがあるからだ。国民性というのはそれぞれの国の長い歴史から培われたもので、違って当たり前だものね。
しかし日本は「親しき仲にも礼儀」の国である。誰にも迷惑をかける事は良しとはしないというお国柄。まあ、行き過ぎる人もいるけど(自分も大切にね)。
昨日訪問した高齢女性は娘さんとの2人暮らし。しかしとにかく仲が悪いらしく、家庭内別居状態。ほとんど顔を合わせることも無いらしく、食事も各々。
先輩看護師の話によるとお互いがお互いの悪口を言い、それぞれの言い分が食い違うので何を信じたらいいか分からないとのこと。まあ私達の仕事は取りあえずその方の身体上の健康管理なので、そちらには関与しないが、精神面でのストレスは病状に決していい影響はないだろうなあ。御多分にもれず、その方も心臓が悪い。
仲良くなれたらそれが一番いいだろうが、もう無理だろうな。お互いイジメられていると思っていては。人間、『恨みを水に流す』というのは最高等技術だ。なかなか出来ない。それこそ、『恨みは水に流すな』というお国もあるし。
しかし、ヒーロー漫画によくあるように『憎しみは流す』のが幸せになる為の真実であることは間違いない。私もできるだけトイレに流すように心がけているが。
この母娘はどちらも経済的理由でこの家から出れないし「どうして私が出ていかなくちゃならない?」と思って、これからも心の平和から遠いこの家で暮らしていくのだろう。ちなみに家の名義は遠くに住む長男さんだそう。
子供は自分が親になり、子を育てて初めて育ててもらった有難さを知ると言うけれど。
母になる時は妊娠を喜び、出産を乗り越え、子供の健康を祈りながら年月を過ごしてきただろうに。同じ母という立場から見て、人生の終わりがこういうカタチだなんて、何て悲しい事だろうと思う。
家族と言えども一人の人間で、尊重されたい、愛されたいは同じ。ましてやお互いオトナなら他人と同様に『理性を持って優しく接する』を心がけるのがトラブルを避ける方法かな。別の人間である以上、気を使わないなんてあり得ないのだから。
私は取りあえず、台風の後に駆け付けてくれた長男、今月自分の誕生日なのに「ここまで育ててくれて有難う。美味しいもの食べて」と逆に送金してくれた次男に感謝、感謝である。
それではまたね。ごめんなさいませ。


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