私達は何故痩せたいのだろう。女性はなぜこれ程までに痩せたい願望があるのだろう。
おデブの女の子が痩せたらキレイになって、とたんに異性にモテモテになるというお決まりのダイエットサプリのCMに乗せられるのは?
あまりに太っている場合は色々な健康被害があり、痩せなきゃと思って当然だが。(思ってない人は真剣に思ってください!)
医師に「もう少し痩せましょう」と言われて『やっぱりそうか、痩せなくちゃ』。
中高年のダイエット動機はこれが多いかもしれないが、若者はまず見た目改善のためだ。キレイ(かっこいい)と思われたい。流行りの服を着こなしたい。愛されたい。
今回の結論:美しさは健康と美しくなりたいという気持ち
痩せたら美しいのか?
裏を返せば、デブはキレイじゃない、何着てもカッコ悪い、(異性に)愛されないと思ってないか。だから痩せればこれらの悩みが全て解決すると考えていたのが、たぶんデブだった若かりし時の私だ。
それが一部は真実で一部は真実でない、と今は言うしかない。なぜなら、キレイさ、カッコ良さ、愛すべき魅力はそんなに単純なものではないからだ。その当たり前のことに目をつぶり、デブの時は取りあえず責任を太っている事になすりつけてた。それが簡単だったから。(今でもダイエット関連のCMはその罠にかける)
女性は外見を褒めてもらうのが好きだ(男性も外見を褒めてもらいたいらしいが、それ以上に能力を褒めてもらいたいと聞く)
「○○さんは優しいですね、頭いいですね」より「○○さんは目が綺麗ですね、すごくお肌きれいですね」の方が、ダイレクトに脳に快楽物質がで出るよね~?
今では綺麗な女性はスリム=痩せてる=キレイ、が無意識に刷り込まれ、「痩せたでしょ?」は一種の誉め言葉のようになっている。「痩せたでしょ」の後に「いいなあ」という羨望を感じ取っているからか。
特に日本人女性は短足で世界基準からしたら少々分が悪い。世界の情報、映像がこんなに普及した現代では外見にコンプレックスを持たない人はいないだろう。
「痩せた」のは「痩せた」だけであってキレイになった訳じゃないのに。
それならすっごいガリガリさんは絶世の美女になってしまう。
かって人類がまだ飢餓と闘っていてほとんどの人がガリガリさんはだった時代は豊満な女性は美と富の象徴だった。(よく例えに出されるのがルノワールの絵の女性だよね)それは太ってるということはそれだけの地位・財力のあるカテゴリーに属していて、同時に教養や立ち振る舞いも洗練されていたからだ。
けっして太っている事だけで美しかったと認識されていたのではない。
おデブ女子が美しくなる為には
ここでまた私の意地の悪い観察眼による考察。お気を悪くしたら許してね。
一度も太ったことの無い人より太っていた過去がある人(現在は痩せている)のほうが、立ち振る舞いに注意を払っている事が多いと感じる。立ち方、座り方、歩き方などだ。理由として、
1.太った自分を痩せさせる為にはかなりの「キレイになりたい」パワーをを必要とする。また、デブの時に少しでもキレイに見せようと涙ぐましい努力をする。それがしぐさに反映する?
2.きれいな立ち振る舞いには筋肉が必要(逆説的には筋肉がちゃんと付いてる人の立ち振る舞いを美しいと感じる?人間は身体的に欠陥のない健康な遺伝子を持ってそうな人を美しいと感じるようにプログラムされている。そうやって優良遺伝子を残す為に。左右対称な整った顔を好むのもそのせいと言われている。)
例えば背筋の伸びたきれいな座り方には背筋が必要だし、腰を使ってキレイに歩くには腸腰筋が必要だ。太ってた人は痩せる努力の過程で運動も取り入れて、筋肉がある程度ついているかも。
3.今まで見てきたガリガリさんはなぜかO脚の人、(または脚の肉が薄いせいか)そう見える人が多い。膝と膝の間にすき間ができる。
一時期若い女子に流行った内股立ちもO脚に見えるが、あれは幼く見せるだけで美しくない。プロのモデルは左右の膝はあまり離さないように動く。歩くときにも左右の膝の内側をするように歩く(あんなエックス歩き~脚を出す時に交差させる~はしなくていいと思うけど、両足が離れたまま歩く平行歩きは筋力のない超高齢者のよう)。座る時も立ってる時も、膝をよせるということはお尻の筋肉の力も必要となる。(太っている人は股ズレ注意ね)
楽して脱力した姿勢というのは醜くはないが、美しくもない。
太ったことのないガリガリさんにもそれなりの悩みや苦労があるだろうが、デブ女子(少なくともかっての私)が1ミリでもデブを補おうとやった努力を、必要と思われたことはあっただろうか。
ガリガリさんが憎いわけではない。むしろ長い間羨望と憧れの対象だったのだ。太っているという悩みが無いのはなんて羨ましい素敵な人生か!
ただ、デブ女子程には体型の美醜に関心がいかなかっただけの結果かなと思う。
胸が無い、お尻が薄い等の悩みはあっただろうが、じゃあその分エレガントに動こうとは思わなかったのでは?
だからといってデブあるいはデブだった人の立ち振る舞いが全ていいとは言わない。
気づくか気づかないかはもちろんその人による。
体型は大部分遺伝子によって左右される。ロシアのバレエ学校では両親が太っているだけで入学試験にパスしない。つまりあちらのバレリーナさん達は遺伝的にはガリガリさんばかりなのだ。そして訓練で筋肉をつける。
だからガリガリさんはバレリーナのような理想の体型になれる可能性がある。
あとは本人がそう望んで努力するかどうかだ。
人は無いものねだりで、太っていたら痩せたいし痩せすぎの人は肉を付けたい。
でも体型で神様(遺伝子)が決めたことは70%は変えられない。
私は大人になってクラシックバレエを習った。
バレエはいかに女性を美しく見せるかの集大成だ。姿勢、首の角度、しなやかな腕の関節の使い方。(女の子は一度習っておいて損はないよん)
しかしどんなに練習しても、立ってるだけで絵になるかどうかという残酷な現実がある。私はどんなに痩せても、脚は短くごつごつとレンコンのようで身長に対して大きな肩幅、短い腕は華奢さとはほど遠い。それは死んでも変えられない。
ま、バレリーナになるわけじゃないから、いいんだけどね。ちょっと悲しいだけさ。
でも30%は変えられるのだ。変えられるものはいい方に変えようではないか。
他の体型関連の中では体脂肪と筋肉量は最も変えやすいのだから。
女性を美しくする(肌、髪、ムダ毛、体臭など)とうたう化粧品やサプリが氾濫する現代。一つ一つ買っていたらキリがない。
いい食生活や筋肉作りをした上で、これらの中で気になる所に特化した商品を買うならいい。しかし基本をほったらかしにしてそれらに走ってもお金がもったいないよ。前述のように美しさは健康にある。
昔の上流社会の女性の教養と立ち振る舞いは‥という話だったよね。
ここまで立ち振る舞いの事ばかりで、じゃ教養は?だが、これに関してはまったく偉そうなことは言えない。
ただ一つだけ誰かの引用を。
「教養とは、見せびらかすアクセサリーではなく、誰かの役に立ってこそ教養と言えるのである。誰かを励ましたり、慰めたり、楽しませたり、恥をかかせないために使ってこそ、その価値がある。」
それではまたね。ごめんなさいませ~。


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