あなたの市町村のゴミ袋の値段はおいくらだろうか。
私が済んでいる地域は、燃えるゴミの大の45ℓが1枚45円、中の30ℓが30円、小の15ℓが15円。
他に燃えないゴミ(値段と規格は燃えるゴミと同じ)と空き瓶・ペットボトル用(45ℓが22円、30ℓが15円とこっちは安い)で3種類ある。
燃えないゴミとペットボトル用は月に1回しか出さないので、よく使用するのはどちらのご家庭でももえるゴミだろう。
ゴミ収集が週に2回。たとえば週に2回、45ℓのゴミ袋でゴミを出したら1ヶ月400円、月1の燃えないゴミやペットボトルの分を入れたらおおよそ500円。
この500円を高いとみるか、安いとみるか。(年間だと6000円)
セツヤクラー(節約を趣味とする人・もちろん勝手な造語)の基本理念は「節約は金額の大小ではない。無駄なものには一切おカネは出さないという姿勢」である。
たとえカフェで1杯のコーヒーを飲めば吹っ飛ぶ金額であっても不必要なおカネは払いたくない。
もちろん無駄と思わない事には遠慮なく払うよ?
もう一度捨てていいか考えよう
本当にこんなにゴミ袋が必要なのか?
最初に疑問に思ったのは息子たちが家を出る際に出現した衣類の山だった。
2人の息子には社会人になってからは服などは買い与えていなかったが、置いていった衣類(もう処分していいと言われた)が45ℓ袋に3~4個。
まずゴミ袋代というよりゴミを出す労力を考えて辟易した。大の袋いっぱいに入った衣類は重い。小柄な私は引きずっていかねばならない程だ。
しかも子供部屋は2階。階段下りてリビング、玄関通ってもまだ駐車場があり(玄関から道路まで20m以上)片づけずに行ってしまった息子らにブツブツ言いながら中を見たら、大半はまだまだ着れそうなきれいな衣類!一度も着てないだろう新品もある。
そこで私はその服に思いを馳せる。綿花として摘まれ染色された糸になり、生地に織られ裁断・縫製される。ボタンを付けられ、人にチェックされて包装、はるばる輸送され(日本製ではない)店頭に並んだ。そして念願のお買い上げ。着てもらえる日を今か今かと待っていたら、哀れ、一度も着てもらえずにゴミ袋に入ったまま燃やされるのだ。
このまま死なせていいはずが無い。
私はそういう生き残りを選び、新品といえどシワになっていたので、(タグは付いているもの以外は)洗ってアイロンをかけキレイにたたんだ。そしてリサイクルショップに持っていったら、なんと2000円以上になったのである。
何よりその子たち(?)がまた誰かに着てもらえると思うと嬉しかった。お嫁に出した気分だ。
残りはシミ、汚れや破れがあるものだが、そういうのを引き取ってくれるリサイクルショップもある。しかしここは1㎏1円~2円。おカネにはならないが、それらはまた発展途上国へ行ったり、細かく裁断されてクッション材に再利用されるそうだ。お掃除のウエスとして使えるもの以外はそっちに持って行った。
で、結局それらを入れていた指定ゴミ袋は空になり、本当のゴミを入れる為にスタンバイする事となった。そんな労力あれこれするより、さっさとゴミ出し日に出した方が早かったんじゃ?
そう思ったででしょ?でもそうしたかったから、といか言いようが無い。
節約は世界を救う⁉
人が何の為に何をしようと自由だ。しかし仕事以外は(本当は仕事もそうだといいんけどね)自分が満足するため、自分に価値がある事のために時間を使うでしょ?食べるのも眠るのも、ゲームするのもテレビ見るのも。そこには無意識でもそうしたいといった自己決定があったはず。それで何らかの欲求が満たされて程度の差こそあれ満足が得られるから。
私にとっての節約は、現代人が便利になりすぎて忘れてしまった事(たとえば服にして昔は多くの人の手が要って高級品だったし、野菜や果物も収穫されるまではどれだけ農家さんの苦労があったか)を思い出すこと。
節約とはモノを直ぐ捨てるゴミ社会を、モノの価値を今一度考え直し、人間という種がこれから地球上でどうやって生きていくかに繋がるプロジェクトの一環なのである。(大きくでたな~)
昔聞いた仏教のお話。
あるお坊様が、檀家の方から僧衣を作って差し上げたいという申し出がありました。
檀家の問い「僧衣が古くなったらどうします?」
僧の答え「縫いなおして普段着にいたします。」
「それが古くなったらどうします?」「ほどいて座布団を作ります。」
「それが古くなったらどうします?」「雑巾にします。」
「その雑巾がいよいよボロボロになったらどうします?」
僧は答えた「細かくして壁土と混ぜ、壁の補修に使います。」と。
檀家の人は感心して、りっぱな僧衣をそのお坊様に贈りましたとさ。
使用段階はもっとあったと思うけど、今はこれ位しか思い出せない。
でも昔の人はそれ位ものを大事にしていた。
「それじゃ何でも取っとけということ?ゴミ屋敷になちゃうよ!」って?
すでにモノが多すぎる人は一回断捨離が必要かもしれない。それも捨てる物はなるべく再利用できないか、情報のアンテナを巡らせてほしい。今はネット社会、タダなら欲しいという人はいる。
そして、もう安易に買わないことだ。
買っても適切に処理できる(人にあげたり、売ったり)ならいいと思う。
経済はグローバル化し、安い材料・安い人件費を手にした先進国は、生活用品の価格が下がってモノは沢山売れないと経済が回らないようになってしまった。人々は多くのモノを所有することが幸せと教え込まされて買っては捨てることを繰り返させるために働かされているという事を気づき始めた人たちもいる。ミニマリストと呼ばれる人たちだ。
私は真のミニマリストさん達のように家電や家具も排除しようとは思わないが、本当に必要で、本当に気に入ったモノだけを所有したいという考えには賛同する。全ての持ち物にそれを適用させようとはしないが。(百均でいいものはそれでいいもん)
ゴミを小さくする方法
ゴミ袋に話を戻そう。
我が家から出るゴミは少ないと思う。1週間に15ℓ袋1個ぐらい。
もちろんリサイクルできる食品トレーや卵パックや段ボール紙、お菓子や市販の食品のパッケージの箱も全部開いてたたんで厚紙として廃品回収に出している。雑誌や勝手に入って来るチラシやカタログもである。うちの町内では月1回の回収日に回収車が回ってきてくれる。
アルミ缶が一番利益になるそうだ。どれくらいになっているか知らないが、上がりがあったら子供会に入るらしい。
一番出るのは野菜の生ゴミだ。量的には週1の15ℓで十分なのだが先月(7月)うっかり4~5日置いていたらコバエが発生してしまい、コバエ取りを買うはめになってしまった。(コバエ取りは百均のは全然効きません。ちゃんとしたメーカーがお勧め)
なので夏場は量が少なくても週2回、泣く泣く(どんだけケチ)出している。
生ごみは出すまで冷凍庫という手も聞くが、私はやはり冷蔵庫にゴミは入れたくないし、場所ふさぎなのでしない。魚をさばいた時だけは仕方ないが。
ゴミを小さくまとめる工夫としてはビニールやポリの袋は折りたたんで結ぶ。これだけで随分カサが減る。たとえばお菓子のお徳用の袋とか、冷食が入っていた袋。私は納豆や豆腐をよく食べるがその空き容器は重ねている。全ては習慣。もう無意識にやってる。
生ごみ以外は空気を抜けば随分小さくなる。透明の45ℓのビニール袋(1枚のコストは5円ぐらい?)のゴミも空気を抜けば(わたしは体重をかけて抜いている。抜いたら素早く口を結ぶ)15ℓや30ℓのゴミ袋に楽々入る。形を整えながら抜くのにコツはいるが慣れれば何でもない。
これは布団圧縮袋から考え付いた。だから私の出すゴミ袋はカチカチである。
もはや節約は宗教?(笑)
でもできたらこっそり布教したいと思ってる私なのである。
それではまた。ごめんなさいませ~。


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