リストラ生活節約術⑯音楽の巻

音と楽しむと書いて音楽。一般には楽器や声を使っての演奏や鑑賞の事をいう。
コロナ禍のせいで演奏する方も鑑賞するほうもままならず、元のように自由に音楽が楽しめるのはいつになるだろう。
今はインターネットで色んな演奏を楽しめる時代ではあるが、やはりライブには敵わない。私達は音や声を聴きに行くためだけではなく、それを含めた空気に酔いしれにいくのだ。

音楽が与えてくれたもの

どこから自分なりの音楽の世界に入っていくかは人それぞれだが、私はコーラスからだった。
もとより歌う事は好きだったがそれはカラオケで歌う程度。
13年前の前回の無職生活の時にかねてよりやってみたかったコーラスを始め、いつものように(熱しやすく冷めにくい‥)あっという間にはまってしまった。
ダンスで、芸術というものの魅力と奥深さ、果てしなさを知っていたつもりだったが、これも一種の脳内麻薬のなせるわざなのだろう。
踊る事や歌うことは人間が太古の昔から感情の発露として、万国共通で脈々と受け継がれたもの。昔はダンスに夢中になった私が今度は歌にガッチリ捕まってしまった。

すると歌だけでなく他のいろんな演奏を聴くうちに、音楽の旋律や楽器の音まで以前と違って聞こえるようになってきた。
そして見えてきたのは「音楽は美しい。私達が生きているこの世界は美しい」ということだった。
これは世の中がどう変わろうと、人がどのように変わろうと変わらない、不変の真実に思えた。

人生ではいろんな事が変わっていく。変わらないものなど無い。
一番辛いのは愛する家族の喪失。それから孤独自分の無力さを思い知る時。
何の為に自分は生きているのか、分からなくなる。
そんな時、人は美しいものに触れると「まだ生きていたい。生きてもっと美しいものに出会いたい」
そう思えるかもしれない。私はそうだった。
この世界には美しいものがまだまだ沢山ある。まだ死ねない。
そう思わせてくれたのが音楽だったのだ。

音の楽しみ方いろいろ

秋が近付き虫の声も聞こえるこのごろ。
虫の声を声と認識できるのはなんと世界中で日本人とポリネシア人だけだそうだ。
日本人は昔から「虫が歌っている」として認識しているが、諸外国では「虫の」で雑音と同じだそうだ。だから虫が鳴いていても聞こえないことが多いと。
南米にいった日本人の学者が、夜鳴き出した虫の声を指摘しても現地の友人たちには何の事かわからなかったという記事を読んだ。
人は雑音と認識した音を聞こえなくする機能がある。何かに集中している時もそうだし、街中の雑踏で話をしても相手の声が認識できるのはそのおかげだ。

そこで若い方々にご注意を。この選択的難聴はトシを取る程にひどくなる。以前は通りがかりに何か言われたら聞こえていたのにそれが出来なるなる。単に聴力の問題ではない。
高齢者にはちゃんとこちらが『今からあなたに言いますよ』を認識してもらってからものを言おう。
アイコンタクトが必要だということ。

そして音楽を含め「音」は右脳で処理する
日本人が虫の声を直ぐに聞き分けられるのは、諸外国人が虫の音を右脳で聞くのに対し、日本人は虫の声を言語処理をする左脳で聞くからではないかと推測されている。
それは人種などの違いではなく「そう育ってきたから」。だから外国人でも日本育ちの人には聞こえるそうだ。
虫の声が雑音なんてね。あの童謡を世界中で広めなくっちゃ。

無生物の擬音語が多いのも日本語の特徴だ。水の音だけでも、チョロチョロ、サラサラ、ちゃぽん、ザーザー、ざぶざぶと枚挙にいとまがない。
同じ擬音でも人工物の出す(椅子が)ガタンと鳴る、や(ハイヒールが)コツコツと鳴る等に比べて、自然の出す音はなんて心地いいのだろう。
木々がさわさわ、風がひゅうひゅう、雨のパラパラ。特に水の音は癒されるわぁ。

先日久しぶりに近くの海岸に散歩に行ったら。
まだまだ日中は暑くて外を歩く気にはなれなかったが、少し曇った夕方に海辺に出ると、(自粛のせいか近隣の方々の努力なのか)ゴミ一つ落ちてない海岸や透き通る海水と共に、海風に吹かれてチャプチャプと絶え間なく波が歌っている。
暑さを我慢してしばらくそこで聞き入っていたのだった。(もちろん暑くて誰もいない)

自然の音は自然の中でしか聞けない。が、どうも女子は誰かと行くとその誰かとしゃべってばかりいて、そういう音には耳がお留守になりやすい(だって感動を共有したい生き物なんですもの)
山や海は一人、もしくは寡黙な男性と行くのがいいのかもしれない。

私の家は一応100万人都市の市内だが閑静な住宅街(お願い!このバカ高い固定資産税安くして!)である。家が建っているのが小高い丘の途中で、大雨が降っても冠水する心配がない。
5分も歩けば海岸で、(今年はコロナで無かったが)そこで行われる花火大会は自宅の2階のベランダで鑑賞している。
家のお向かいは市の保護林で、窓を開ければ目に優しい緑で、風の強い日はよく木々が歌っている。(そのかわり道路に落ちる落ち葉の掃除が大変)
時折通るバスの運転士さんのマイクの声(バス、1時間に1~2本なんで。けっこうバス停から離れてるけどよく聞こえる)たまの郵便屋さんのバイクの音や子供の声以外は、鳥も含めて自然の声ばかりだ。テレビはほとんどつけてない。

家ではずっとテレビをつけっぱなし、という人も聞くが街中では仕方ないのかもしれない。
仕事のリモートワーク化が進みどこに住んでもよくなったら、是非自然の歌が聞こえるところをお勧めする。そういう所はコンビニも近くに無く色々不便かもしれないが、美しい世界を無償で享受できる。

また音は食べる時にも楽しめる。音を発する口と耳は場所が近い。これはトシをとっても楽しめそうだ(歯は大事にね)。煎餅のパリパリ(ムチッとした濡れ煎餅も好き)、クッキーや揚げたての揚げ物のサクサク、漬物のポリポリを楽しまない人はほとんどいないだろう。これもお金はかからない。

人間は情報の8割は目からといわれ、ともすれば耳は置き去りにされがち。
心の声を聞くのはとても難しいが、まず色々な音を楽しむことを意識して始めてみてはいかがでしょ。

それでは今回はこれで。また次回に会いましょう。ごめんなさいませ~。

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