9月半ば。急に朝方など冷え込み始め、どうやら風邪が流行っているらしい。周りに喉が痛いとか鼻水が出る等の声が聞こえる。体温が下がると抵抗力が落ちるそうだから、そのせいかも。
稲刈りのせいで鼻がムズムズするという人もいた。
私は滅多に風邪をひかない。今年の1月には職場でインフルエンザをもらって3日寝込んでからは、体調はずっと良好である。というのが思う込みでない確証はあるか?
「バカは風邪をひかない」と言うが、何故バカは風邪に強いのだろうと調べたら、本当にひかないのではなく「風邪をひいても気付かない」という意味だった。
風邪にだけではない。いろんな事に気が付かないのよね、生きていれば。
風邪ならまだいい。気付かなくてもっと困ることがある。それは空気だ。
白い目で見られるKYさん
いわゆる「KY」。クウキヨメナイ、だ。
日本人においてこの「空気を読む」能力が無いと大変である。昔から和をもって物事を進めてきた日本人は、良くも悪くももともとこの能力に長けている。
大人としてあって当たり前と思われ、無ければ白い目で見られかねない。とくに女性社会では。
何故なら女性は共感能力が高く、また感情を共有することで「快や安心」を得る。複数人いれば「そうよね~」「わかるわかる」と話の内容や感情の方向性をまず同調させる。そして大きな河の流れを作る。そこにドボンと石を投げこむのがKYさんだ。「せっかく気持ちよくみんなで流れに漂っていたのに‥。」
30年以上前のこと、職場で「今年の新人はちょっと‥。」と先輩同僚が口を濁す。そのうち、何がちょっとなのかが分かった。
ある日、その新人も含めて若手スタッフ4~5人で雑談をしている時だった。話は各人のまだ仕事に慣れない新人の頃の失敗や怖い先輩などに叱られて辛かった思い出になった。(その新人を励ます目的もあったのだろう)
「私はトイレでコッソリ泣いた」「叱られたとき取りあえず深呼吸10回した」など、それぞれが話す。そして、そうだったのね~、大変だったのね~、頑張ったのね~の空気の中、誰かが「海岸でね、泣きながら思いっきりバカヤローって叫んだのよ」と言ったとき、件の新人は一言「海⁉いいですねえ、私も海に行きたいなー」と明るく言ったのだ。一瞬でその場がシンとなった。
どうもその新人は『自分も何か言わなくっちゃ』とあせって発言した結果らしい。
もし空気が読めてたなら「先輩たちも大変だったんですね。私もめげずに頑張ります」とかになったかもしれないが。
つまり、私達はそういう言葉を期待して発言している。空気が読めないというのは周りの期待に応えないということである。皆が波風立てずにその河を海まで流してチャンチャン!と終わりたい、和の伝統にのっとって。
若い時はみんなKY?
人の事は言えない。実はかくいう私も「KY]である。若い時は顕著だったが、今でも時々やらかして「しまった!」と思うことがある。
私も新人のころ、たまたま病棟を訪れていた看護部長さんが私を見かけ「どう、少しは仕事に慣れた?」とわざわざ声をかけて下さった。しかし私の頭はいきなりパニック状態となる。自分がまだまだ慣れていないのは自覚していたが、正直に「全然慣れてません」と言っていいものか。「慣れてきました」と言うのも自分的には嘘に思えた。何て答えていいか分からない。
困り果てた私から出た言葉は「どうでしょうか」。
看護部長さんは苦笑して通り過ぎていったが、横で聞いていた先輩から後で「どうでしょうか、はないでしょ。自分の事でしょ?」と注意を受けた。もっともである。
期待されていた優等生的な答えは「婦長さんや先輩スタッフの皆さんのおかげで、少しずつですが慣れてきました」かな?大人になるということは正直でいい時と、そうでなくていい時との使い分けができることなのか。つまりは社交辞令を使いこなす、または相手の期待を読み取ること。
子供の頃から親からさんざん「あんたはいつも一言多い」と叱られた。(叱るくせになぜその一言が余計なのかは説明してくれなかったし!)
『とくに相手を傷つけた訳でもなく、思ったままを言ったのに何が悪いんだろう?』と、その頃はどんなに注意されても分からなかった。子供の時って正直さを要求されるのに正直に言ったら叱られたりするよね。そのうち「思ったままを言ってはいけない」を学んでいったのだが。
「KY」である時は「思ったままを言った」ときである。
「KY」の時の問題は、リアルタイムで思考があちこち飛ぶことだ。
皆なが河の流れに乗っている時に河原で石遊びをしてしまう。そこで手にした石を投げこむのをグッと我慢出来ればよいのだが、石遊びに夢中で他の人達が何してるかが見えてないのである。
私もこの年になって、さすがにそうポイポイ石を投げこむことはしなくなったとは思う。
だが、この年齢になって逆にその流れに納得できず、わざと石を投げこむこともしたりして。
「こんな事したら変に思われるかも」「このことで気を悪くするかも」で「かも」のうちは気にしないというのは私の特性である(威張って言うな)
その例の新人はその後も「?」の数々のエピソードをの残し1年でそこを辞めてしまった。
当時夏のボーナスは「基本給の2か月分」となっていたが、それを知った彼女はどうして自分のボーナスが少ないのか、わざわざ経理課に訊きに行ったらしい(いや、まだ入って3ヶ月でしょ⁉)
2か月分あると思って車を買う予定だったとかなかったとか。
そんなこんなで彼女は完全に今でいう「KY」のレッテルを貼られてしまっていた。(当時KYという言葉は無かったと思うが)
他人が何を期待しているか正確に読み取るのは難しい。時には読み間違いだってある。
着地点が分からない時は黙っているにかぎる(と殆どの人は思って、シ~ンとした話合いも多いよね。自由に発言できない何らかの理由が存在している場合もある)誰しも「KY」のレッテルを貼られるのは怖いのだ。
でも長く付き合えば「KY」傾向はバレるもので隠しおおせはない。
もしかして誰かに「KY」のレッテルを貼って仲間外れにしていないか?
また自分はそうかと思って言いたい事を我慢している人はいないか?
一つのグループには必ず1人か2人はいるこの少数派(?)が私は好きである。(行動的な人にはちょっと困る事もあるが)私は自分のことは棚にあげて、最近はそんなお仲間の言動を微笑ましく楽しんでいたりする。また「KY」には特殊な才能を持ってる人もいる。多様性ってすばらしい。
それはアスペルガーではないかと問われるかもしれないが、ここではそうは考えないことで進めた。
完璧な人間なんていないし、孤独でない人間もいない。(もし自分は孤独ではないと思っているならそれは錯覚だよん)「KY」じゃなくても傍から見たら「神経質」だったり、異常に「疑り深い」だの「ガサツ」「気まぐれ」だったり人は様々だ。
また人生は短い。人の事をアレコレいうヒマがもったいない。(書いてるけど‥。)
今は開き直りの境地?私は私の事を「あの人ちょっと変わってるけど、いい人だから」と評されるのを目指している。
それではまた。ごめんなさいませ~。


コメント