リストラ生活節約術㉝人生の終わり方は?の巻

死をどう迎えたいか。考えたくないが、考えねばならない問題である。
ほどんどの人が「ピンピンコロリ」を望んでいるだろう。朝起きたら死んでいたというやつである。よく100才以上のご長寿さんが前日までは元気に食べてしゃべっていたのに、ある日突然「眠るように」他界する話を聞く。それが理想だが、どうしてみんなそうならないのか。
いわゆる「寿命を全うしていない」から。生命を維持するのに必要などこかの器官の早すぎる故障。
日本ではその原因の第一位は、今の所悪性新生物(がん)だ。

現代人は長生きできないと言われるが?

昔は多くの人が飢餓感染症戦争で亡くなった。今の世界でもそれは完全になくなってはいないが、少なくとも先進諸国と呼ばれる国ではかなり少なくなった。それでも日本では年に十数人の飢餓による死亡が確認されている。(食品ロスは年間何百万トンである)
現代では飢餓で早死にするより、毒を少しずつため込んでゆっくり死ぬ方(それでも長生きではない)を選んでいるだけだと思えてならない。それも仕方がないと言えばそうだけど。農薬や食品添加物がなければ、こんなに潤沢に安価に食料は流通しない。

そこで今ブームになっているのが、1日1食ファスティング(絶食療法)極小食
食べる量が少なければ入って来る毒も少ないし、長寿遺伝子やオートファジーが活性化して新しい細胞が生まれやすい。有名芸能人も多数実践している。しかし、この理論は本当に有効なのだろうか?

それを実践して長生きした有名人(日本ではあまり有名ではない)にイタリア人のルイジ・コルナロがいる。この人は16世紀のヴェネツィア共和国の市の行政官で暴飲暴食のあげく病気まみれになり、40代の時に生死の境をさまよってから改心し食養生を始める。「極小食」である。(この人の本は和訳もある)そして健康体を取り戻し102才(ルネサンス時代に!)で昼寝をするように亡くなったそうだ。
まさに理想的な死に方!

本当に小食にするだけで長生きできるのなら、昔から貧乏人の方が長生きのはず。きっとそれだけではないのだろう。ただこれだけは言える。飽食は必ず早死にする
以前私が勤めていた病院の内科医の口癖は「デブは長生きしない」だった。ご長寿さんはたいがい鶴の様に痩せていると。

もちろん痩せてなくて長生きしている例外もいる。私の義父は90才だが太っている。だが心臓が悪く、膝も壊れて人工関節、最近癌も見つかった。しかしその伴侶である2才下の義母は元気そうである。お二人はいとこ同士なのでどちらも長寿遺伝子は持っているのかもしれない。
確かに義母はとても痩せている。そしてかなりの小食である。あまり病気したと聞かないのは、もともと生物として女性が強いのと、あまり動けない義父の世話でよく身体を動かしているからかな?

自分の望んだ死に方は出来るのか?

私達の望みは健康体での長生きだ。いや、。心身の苦痛が無ければ多少病気持ちでも長生きしたい。
最近、難病で心身の苦痛に耐えきれず安楽死を選んだ人の事件があった。
それで思い出したのは以前観た映画だ。

「ブレス 幸せの呼吸」2017年製作のイギリス映画である。
1960年代のイギリス。熱烈に愛し合って結婚した二人のうち、夫の方がいきなりポリオを発症し首から下はマヒ状態となる。人工呼吸器がないと生きていけず、残されたのは病院のベッドでただ生かされる人生。絶望してただ死を願う夫を、妻の愛が救うのだ。
妻は「病院にこのままいても死んでるのと同じ。短命でもいいからここを出たい」という夫の願いを叶えるため、(この状態で病院を出た前例が無く、直ぐに死ぬと考えていた)病院側の制止をあの手この手で振り切って家に連れて帰る。そして、ついには彼は人工呼吸器付きの車イスに乗って海外旅行も果たし、同じ境遇の人々に希望と自由を与えて(人工呼吸器をつけて)20年生きた。これは実話である。

彼の場合は肉体的苦痛が少ないため長く生きていけたということもあるが、末期癌などで肉体的苦痛が耐えられない時はどうなのか。自分だったら?
この映画では、長年の人工呼吸器の使用で肺がボロボロになり死期を悟った主人公が親友の医師に安楽死を頼み、愛する家族(妻と発病前にできていた息子)に見守られながら静かに息を引き取るラストになっている。

私の実父は80才で亡くなった。胆管癌だったが、発見が遅く、もうかなりの大きさだった。病院嫌いで自分の健康に自信があり、健康診断はほとんど行ってなかったのだ。ガンで食欲が落ち栄養不良もあってか急速に認知症が進み、いよいよ食べなくなり寝たきりに。
父には2~3年前に再婚した(⁉)3度目の妻がおり(私は最初の妻の子)彼女が最後まで父のお世話をしてくれた。娘の私も分からなくなり言葉も発さなくなった父。最後は植物人間状態だった。
癌であったが苦しまないで逝ったのは救いだった。
しかし明るく冗談好きで、はた迷惑なほどポジティブ思考の父としては(だからモテたのね)不本意な逝きかただったろう。休肝日が必要な程の酒好きで、酒を止めなければ早死にすると分かっていても止めたかどうか。

末期の頃に父の主治医が、食べなくなった父の延命に胃ろうや中心静脈栄養栄養をどうするかと尋ねてきたが、父はすでに寝たきりで何もわからなくなっていたので断った。そのうちボロボロの血管に点滴が入らなくなり、何度も刺し直されて苦痛の声を上げるのでそれも断った。ある意味「安楽死」の選択である。父の最後は即身仏のような姿だった。

「安楽死」が言葉通り安楽だとは思わない。普通は「死にたくはない」という精神的苦痛を打ち負かす程の他の苦痛の存在。生きているのが辛いとは。そうでないのがどんなに幸せなことか。
日本では法律上「安楽死」は認められていない。外国のように認めるべきだとは言えない。
日本は日本、外国は外国。社会のあり方や国民性も違う。安易には認められない理由は色々あると思う。まずは「安楽死」を選ばないでいい社会や医療の発達、人生の在り方を目指すことも大事かな。

少なくとも死ぬ時はそうと知らずに死にたいもの。
人間はどこも異常を起こさなければ120才まで生きられるという。まあ、人生の価値は長さだけではないにしても、同じ生きるのなら、元気で、社会とつながりを持ち、愛に囲まれて生きていたいよね。
その為に出来ることは沢山ある。食べ過ぎず身体にいいものを摂り、身体をよく動かし、社会に役立つ仕事をして(今はお休み中だが)周りの人を大事にする。そのうちやろうと思っているだけでやってない事のなんて多い事!
それをやらないうちは、まだまだ死ねないぞ。

それではまた。ごめんなさいませ~。

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