リストラ生活節約術㉟紙の社会とお片付けの巻

ちょっと気を抜いたら家の中が占領される。紙類にである。
今は有料新聞はとってないので昔よりまだマシな気がするが、それでも毎日ポスティングされる広告や、今は離職中が故の税金等の支払い関係書類、最近台風被害にあった家の修理見積や保険請求書類。昨日は国勢調査票まできた。他にも読みかけの小説や、作ろうと思っているお菓子のレピシ本。(レシピって暇な時に見て、材料をあらかじめ買っておかないと直ぐ作れないのよ)
広告や新聞はさっさと捨てられる。他は分かるように分類して整理すればいいとわかっているが、それがサクサク出来ない一番の原因はこれが多いのではないか。
目に見えない所に片付けてしまうと、その存在を忘れてしまうのである。

愛すべき紙文化よ!

提出期限のあるものは、期限がまだまだ先であれば当然優先順位も低くなり、書類の山の下の方に埋もれてしまう。そして忘却の彼方へ。それが怖い。
一人暮らしなので、かって家族4人で使っていたダイニングテーブルは今やそういう書類が乗った事務机と化している。食事はリビングのテレビ前で食べているので、気がつくとそうなってしまっていた。

長年使っているもの、例えば歌の楽譜や家計簿などは置き場所が決まっているので問題無いし、そもそも提出期限が無い。短期的なモノの定位置を決めても、自分のなかでその定位置が定着するまで一時かかり、そのうち不要なものとなってしまう。という事で数日出しっぱなし。
あれだね、洋裁好きの人には洋裁部屋が要るっていうのとおんなじ。

紙は、いや記録物は太古の昔から人間の発展に寄与してきた。
エジプトのパピルス、中国の竹簡・木簡、西洋の羊皮紙、日本の和紙。
そして現在使用しているこのパルプから出来ている紙は安価で軽くかさばらずとても便利で、生活には欠かせない。だからこそ放っておくと際限なく増殖する。(ゴミ屋敷がそうね)
前述の書類などもウェブで済ませられるものも増えた。国勢調査や保険金請求などもその方が速く先方に届く。郵便代もかからない(私が負担しないでもね)
しかしやっぱりその存在は何処かに誇示しておかないと忘れそう。実際スマホでスケジュール管理してる友人は時々予定を忘れるぞ?いや、それは人によるか。

教育現場でもそのうちノートPCだけ持って行くか、データだけ持って行くかになるんだろうな。
私が中学生の時は英語の授業が憂鬱だった。そう、あの分厚く重い「英和中辞典」をもって行かねばならないからだ。(それだけでなく、他の教科書も重かった)それも私の家は校区の端っこで30分は歩かねばならなかった。今みたいに背中にからえないカバンだった(カバン自体も合皮で重かった)ので、しびれる指を持ち替えながら歩いたものだった。時々見かけるが、小さな小学1年生位のあの重いランドセルや水筒、体操服を抱えて登校する姿はどうかと思う。なぜこういう事は改善しないのだろう。

うちにもう使われなくなった電子辞書が見つかった。電子辞書は、昔は何処の家でもあっただろう重たく分厚い百科事典の代わりである。大きさは単行本ぐらい。スマホが普及する前、まだ携帯電話が電話機能しかなかった時代に外出先で調べものがある時に使った物だ。本も何百と入っていたのを思い出し、電池を入れたみたがつかない。バッテリー切れか、残念。
いまは何もかもがスマホでできる。が故にスマホが使えない時は大変だ。
重要なものは書類で残すというのは当分無くならないだろうが、お願い、せめて私の生きているうちは無くさないで。

片付かないのは紙だけではない!

私には「片付けられない主婦は必ずダイニングテーブルにごちゃごちゃモノが乗っている」という持論がある。たまによそのお宅に行ったときダイニングテーブルの上に「どうしてこんなものまで」と思うほどモノが乗っているのを見る。たぶんそのお宅もそこが事務机を兼ねているからだろう。
モノというのは紙に関わらず、ずっとそこにあると「ある状態が当たり前」になり、もはや視界に入らなくなる

リストラ中の私がそこまで忙しい訳ではない。それを処理していくのが面倒で目を背けていただけなのだ。散らかしていても誰にも叱られない、迷惑をかけない事にあぐらをかいて。でも、こんなにストレスになっているではないか(書くほどに‥。)そう、仕事と思えばよいのである。

前の職場では「院長室」や「師長室」があり、その机の上には常に書類が山積みされていた。私たちスタッフはいつも「ちゃんと分類整理すればいいのに」と思っていたものだ。(わざと私達に書類を見せない手だったのか?)よく部屋が散らかっている人は、その状態でも何が何処にあるかはわかっていると言う。逆に掃除や片付けしようとすると分からなくなるからと怒られる。いや本人がモノを探す手間は勝手だとしてもそれでは掃除なんてできないでしょ。もしもーし、ホコリまみれになってますが?

私も人の事は言えないか。片付けられる様になったのはここ10年ぐらい。子供が高校を卒業し、学校行事からあらかた撤退してからだと思う。学校関係書類のなんて多い事!これは子供が学校に行っている主婦なら絶対に攻略しておかねばならない問題だ。専用掲示板やファイル、スケジュール表が必要。またそれらを駆使するのには慣れがいる。子供が保育園や幼稚園のうちから訓練しておけば良かったと悔やむ。(冷蔵庫に紙類を貼ると運気がおちるんですってよ?)

おかげで20年近くそれらの紙類で家の中のいろんなスペースを侵食されて、いつも雑然としていた。
おまけに私のモノが捨てれない性分。それは使いかけの化粧品や着かけの服まで及び、今思えば当時12畳はあったはずのリビングは狭く汚かった。
そのストレスで夫が、棚を埋めるホコリまみれのモノ達を発作的に払い落した程である。(夫は整頓好きだが、掃除好きではないので散らかっていても掃除はしなかったね)しかしその当時の私は、3交代の仕事、育児、家事、それに加えて自分の楽しみ(趣味の外出)も我慢したくないと、ある意味無我夢中で家の中を見回す余裕なんて無かったのだ。

女性の社会進出も大切だと思うが、男女問わず、どちらかが余裕をもって育児や家庭管理ができる時代が来たらいいと思う。だが今は一部の裕福の人たちを除いて、共働きでないと家電も購入できないし子供の教育費にも困る。(愚かなことに私はそれらを全てローンで支払っていて、それが当たり前と思っていた)

今痛感するのは「何物にもメンテナンスが要る」ということ。家電でも服でもメンテをせず、使えなくなったら捨てて買い替えていた。そういうもんだと思っていた。
掃除機、冷蔵庫、洗濯機、エアコンやヒーター。全て定期的なメンテ(掃除)が必要だ。
しかしそれらを使うだけで日々精一杯なのに何処にメンテをする時間気力があろうか。
自分自身のメンテナンスもできていないのに?

欧米人が日本人の働き過ぎを言うが、もっともだと思う。高度成長時代に男達が仕事ばかりの企業戦士でいられたのは専業主婦が多かったから。
男が妻に「食わしてやってる」と威張らなければ、こういう分業でも悪くないと最近は思うようになった。若い時は夫婦ともがフルタイムで働いていたら絶対に家事は滞る。お互い気持ちよく過ごせればそれでいいではないか。家事だってちゃんとやればキリの無い大変な仕事量だ(やってない主婦がいるから誤解されるのね)。けっして3食昼寝付きではない。
現に今仕事してない私は忙しい。(あー、でも昼寝は時々してるかな。30分ぐらい)

食事は配達してもらい、食器は食洗器、洗濯は乾燥までの全自動、掃除はお掃除ロボット(掃除は床だけではないが)にしても、その為にどれだけ稼がなくてはいけないのだろう。そしてメンテしてもらうヒマのない家電は早々に壊れて家電メーカーを喜ばせることになる。
便利になったようで、気が付けば「もっと働け」と言われているような社会なのだ。
子供の教育費も年々上がり、今多くの人が大学卒業と共に奨学金という何百万円の借金持ち。
この負のスパイラルはどうしたら断ち切れる?

これらすべてを今頃気が付くなんて。
でも私の人生はあと40年ある(⁉)何も出来ないわけではないのだ。

それではまたね。ごめんなさいませ~。

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