リストラ生活節約術㊲認知症になったら?の巻

今や日本は超高齢化社会に突入しようとしている。平均寿命は延び、高齢者はどう生きようか、どうこの世とおさらばしようかと模索する。
良く言われるのが「ガン認知症にはなりたくない」
もしどちらか選べと言われても、どっちも嫌だ、選べない。究極の選択である。
私の父はこの2つの同時進行でわずか半年位で亡くなった。あっと言う間だった。
すぐに動けなく食べなくなり寝たきりになるのが早かった。家族の認知症で介護者も共倒れる、という話も聞くがそこまでの時間はなかったのだった。

いつまで元気で一人で暮らせるか

しかし、身体は元気で認知症になる人も多数いる。それでなくても高齢になればそれだけ認知機能は落ちていくと言われ、90代では3人に1人になるとか。今後も高齢化は進むというのに、そういう高齢者は幸せな老後は望めるのか。
幸せな老後とはどんなものだろう。子供や孫に囲まれ、家族の成長を見守り、四季折々を楽しむ?
が、子供がいない、もしくは結婚してなくて家族がいない人も今は少なくない。家族がいたって日本は一人暮らしの高齢者が多いのだ。欧米では高齢者の若年層との同居の割合の多さが、コロナ感染の拡大に繋がった1要因との説があるが。

父の3度目の結婚相手だった義母は、父と死別した時は多分60代後半だったと思う。淋しさで犬を飼い始めたが、老人会の行事や畑仕事が楽しいと元気に過ごしていた。
しかし70代半ばで心臓にペースメーカー、乳癌の手術(リンパ節郭清)してからはしばしば身体の不調を訴え犬の散歩も滞り、犬が死んでからついに来月、個人用の市営住宅に引っ越すことになった。
父の実家は兄の名義で、父をみとってくれた感謝で兄はこの十数年間そこの固定資産税を払ってあげていた。が、とうとう兄も来年から年金生活に入るのでその家を処分したがっていたのだった。
応接セットのあるリビング、床の間のある和の客間、大きな食器だなで仕切られたダイニングキッチン、他に仏間や寝室のある大きな家はもう80才になるの義母一人の手には負えないだろう。

いずれ私もそうなるのだろうか。今は元気な60才。しかし20年後は?
いやいや、この家の名義は私だ。ここを離れる理由はない。私は死ぬまでここにしがみつくぞ。
少なくとも幸せな老後の為には絶対認知症にはなれない。

私の知ってる認知症の人々

認知症の人は執着するもので3つのタイプがあると看護師仲間で言っていた。
お金と食べ物と色。お金タイプはよく「財布が無い!」「誰かが私の財布を盗った!」と言い出す。
食べ物タイプはいつも食べ物の事を考えていて、さっき食べた食事も「食べてない」という。
ここまでは女性に多い。男性に多いのは色気タイプ。若いナースとかにすぐ触ろうとすると。
これらは入院してきた認知症の方に対する失礼な都市伝説みたいなものと聞き流してほしい。
そうやって冗談で流さねばならない程、認知症の入院患者さんのお世話は大変なのである。

20年以上前のこと。私は総合病院の産婦人科に勤務していたが、助産師は1年の他科研修をすることとなり、私は内科に行った。そこで、普段は介護が必要で施設にいるが、たまたま病気になって(やっぱり肺炎が多かったね)入院してくる認知症の人たちに出会った。

ある60代の女性。病名は忘れたが「認知症になりかけ」だった。昼間の受け答えはまともなのだが、夜になると点滴は抜き、オムツを勝手に脱ぎ、あげくにベッドから落ちる。上手にベッドの柵の間からズルズルと落ちるのである。言葉が悪いが「まだらボケ」という状態だ。
何度夜勤の巡回中に落ちているのを見つけたことか。ケガがないのは良いのだが、そこから汚れたベッドを整え(オムツ外してらっしゃるのでね)仮眠している同僚も起こして、みんなでせーのとベッドに抱えあげねば‥とため息がでたものだった。
そして、昼間は大人しいだけにたまに会う家族は信じない。息子さんが話を聞いて怒り出したという。入院という環境は認知症を進ませる。そのうち家族も信じるようになった。

そのころは入院の3か月縛りはなく、何等かの事情で何年もそこに入院している高齢者もいた。その中で強烈に印象に残っている1人の老女がいる。
彼女は脊髄損傷で、すでに脚が拘縮(関節が動かせなくなった状態)で歩けない上に立派な(?)認知症だった。老齢で筋肉もないので、介助なしでは車いすも使えずほどんどベッドでの生活。
手と口は達者だったので、いつもワアワア言っていきなり叩いてきたりもした。
ご飯は自分で食べれたが、困るのは排泄だった。立てないのでオムツである。認知症なので清潔不潔の観念も消失していて、時々(気持ち悪いのか)オムツの中に手を突っ込む。一応病院なので毎日検温や血圧測定をするのだが、彼女があれこれ触ってこようとする前に必ずハッシと手首をつかまえて指を確認した。どうかすると指に○○コが付いていてポッキー(グリコさん、ごめんなさい)になっているからである。
一時他院に転院したかと思ったら、すぐ戻ってきた。褥瘡を作って。
もともと気が強い上に褥瘡の痛みでますます不機嫌になった。
数日お通じがないと浣腸するのだが、ものすごく抵抗する。無理もない。浣腸後の排泄物がオムツに出る感触が気持ち悪いらしいのだ。
誰だって排泄はトイレでしたい。ただ彼女の場合、人員と時間が要る。ベッドから抱えおろしたり上げたりはナース1人では出来ないし、トイレの間ずっと付いている余裕もない。またその後の仙骨部の褥瘡の洗浄やガーゼの付け替えもしなければならない。受け持ち制でひとりで5~6人の患者を持つ身のナースにはオムツで「お通じが出たら教えて」とナースコールを握らせるしかなかったろう。(今はどうしてるのだろう?)
彼女が昨日の事も覚えてないので、彼女の意志が軽視された部分もあるかもしれない。

そんな彼女が唯一幸せの片鱗をのぞかせるのが、清拭のとき。温かい蒸しタオルを拡げて背中に当てるといつも「あー、気持ちいい」と言った。シャワーは時々浴びれるが、もう何年もお湯には浸かっていないのではないだろうか。
そしてそういう機会はここにいる限りはない。寝たまま入れる入浴設備はその病院には無かったのだ。病院はあくまで病気治療する場所で、病気の間だけの仮の住まいでしかないというコンセプト。
彼女の家族は無くなったオムツの補充にごくたまに来るだけだった。(私は見たことは無かった)
彼女を亡くなるまでここに放置するのだろうか。最初の頃は面会によく来ていたのだろうか。来ても誰かも分からない、会話も成立しなくて段々足が遠のいたのだろうか。

その後私はまた産科に戻り、彼女の訃報をいつ聞いたか覚えてない。
ただ今は、贅沢になみなみとバスタブにお湯を張って身を沈める度に思う。温かなお湯に浸かれない人がこの世の中に沢山いることを。なんて私は幸せなことか。
この幸せはいつまで続くのだろうと、時々彼女を思い出して考えるのだった。

将来のことを考えるのも大事だけど、今の幸せも忘れてはいけないのよね。

それではまた。ごめんなさいませ~。

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