あなたの目標は何か。そしてあなたの目的は何か。
目標と目的は似ているようで混同しやすい。
目標は自分で定めるものだ。短期の「来年までに○㎏痩せたい」から、私の様に「90才になっても元気で若々しくいたい」という長期の目標もある。
それでは目的は?ここで言う目的とは「彼が優しくするのはお金が目的だ」などのような動機などのことではなく、『人生の目的』という意味である。ま~あ、いきなり硬い話だこと。
特別な人になりたい願望に囚われて
宗教的な考えからしたら、それは『使命』と言われるものかもしれない。
自他共に認める『使命』があり、その人しかできない。その人だからこそできる。そんな特別な人間になりたいと、どれほど多くの若者が願ってきただろう。だが、ほとんどの人が雑事に紛れ年を重ねるうちに、自分はどこにでもいるありふれた人間で特別な才能も使命も無いとどこかで諦める。
恋愛もそうだよね。異性の誰からも特別な人と思われないと自分に価値が無いように感じるもの。
本当にそうだろうか。特別な人には特別な才能や魅力が必要だろうか。
あなたは、あなたの家族にとってたった一人の特別な人なのに?それはあなたの友人にとってもそうかもしれないし。(家族や友人なんていないって?それはそれで特別だね)
その特別な人(あなた)がいつも思慮深く、思いやりがあり、誰が見てなくても真摯に仕事に向き合う人なら。あなたの家族や友人は、あなたを誇らしく思い、あなたの人生にずっと寄り添いたいと思うだろう。その事だけでも今の社会での各々の使命ではないかと私は感じる。
そして、その家族や友人もあなたにとって特別な人だよね?お互いに誇れる人間でありたいと思うのは大事なことではないかしらん。今の社会、どれだけの人が他人を傷つけ、自分のプライドの為に他人をないがしろにし、弱い立場の人に八つ当たりをしていることか。
最近有名なインフルエンサーがとある個人の飲食店を批判したせいで、そこは休業に追い込まれた。その有名人には何百万人ものフォロワーがいたためSMS上で炎上したが、休業はそれのせいでお客が来なくなったからではない。ひっきりなしにかかってくるいたずら電話のせいという。予約の注文を受ける商売上必要な電話に無言電話や、とったら「バカヤロー!」と言ってすぐ切れたり。時刻関係なく多い時は1日100回ぐらいあったという。家族経営の店だったが、とうとう家人の一人が体調を崩してやっていけなくなったのだ。
いたずら電話は1人や2人の仕業ではないだろう。どうして、自分に何かされたわけではないのに、そこまで残酷になれるのだろう。
どうしても目的が要るのなら
何も偉業を達成する必要はないのだ。しっかり自分で立って、自分の周りの困っている人に手を差し伸べることができれば、「人生の目的」なんて要らないのではと思うのだ。
何の目的も無く、ただ日々の仕事や生活をこなすだけで「何もしてない自分」に鬱々した気分になる時もあるだろうが、思い悩むのはやめよう。世の『スゴイ人』も一朝一夕にそうなれたわけではない。
何かの発明をする、有名になる、多くの人を助ける。それらを成し遂げた人は皆一様に言う。
「いつのまにか、せずにはいられなくなってたんです」と。最初からその偉業を目指してやってはいない事が多い。自分と比べるのは意味がなくない?
何もしなくていいとは言ってない。理想を目指して目標を持つのは大切である。
野球少年はプロ野球選手を目標とし、研究者は自分の研究の成就を目指し、経済的な成功を望む者は豊かな生活を夢見る。その為の工夫や努力が人を成長させるのだから。
仕事を辞めて思ったこと。
人が最も耐え難いのは『誰からも必要とされないこと』だ。
仕事をしていれば、その虚無感はやや薄くなる。取りあえずは頭数としていなくては同僚に負担がかかって困られる。病気になっても仕事を休むので直ぐに気づかれ「大丈夫?お大事に」と気遣ってもらえる。しかし、高齢になり仕事も出来ず家族も近くにいなければ‥?
いいえ、誰かの為に何か出来るはず。仕事(お金)にならなくとも。必要としてくれる誰かを探せばいいのだ。
私が内科病棟で勤務していた時に出会った一人の患者。寝たきりになって、全てを誰かの介助に頼って生きるおばあさんの「死にたい」という口癖を思い出す。
失敗続きで孤独な夜、夢のなかで彼女がささやく。「あんたはまだ何でもできる。あたしの様になりなさんな」と。
強いて言うなら、私のこれからの人生の目的は。けっして大きな夢でも成功でもなく。
私が私であること。誰かが言う『こうあるべき』を気にして生きるのでなく、自立して、1日1日を生きる事を楽しむこと。それでいいかな?おばあさん。
そんな事をとりとめもなく考えながら、秋の日差しに当たるように干し柿をつるした文化の日であった。(今回はちょっと暗かったな~)
それではまた次回に。ごめんなさいませ。


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