自分はいつまで生きるか。それが分かれば誰も要らない苦労はしなくてよくなるが、人間という動物は希望を食べて生きているのだから、死期を知ってしまうとそれだけで飢え死にしてしまうかもしれない。
では希望とは何か。生きる喜びの予感だ。苦しみしか待っていなければ誰も生きていかない。パンドラの箱の寓話の様に、幾つになっても人は希望を持ち続けられるか。
ハイリスクな方々への訪問
義理の両親に会いに行った。正確には元夫の両親だ。
舅91才、姑(来月)89才。けっこうな高齢である。元夫とは残念ながら別れることになり殆ど会う事はないが、その御両親とは付き合いが絶えることなく続いている。
そう言うと普通周りからビックリされるが、私がもとよりこのお二人が大好きだったこと、離婚の直接の原因が夫にあったことを認めてくれたこと、孫である子供達に祖父母を失わせたくなくて年に数回連れて会いに行っていたことなどが理由である。逆に実の息子は数年に1度しか帰ってこなかったらしい。
このお二人は私の規範とする舅姑である。いわゆる口は出さぬがお金は出す、の典型で。そうでない人間は多いよね。つまり穏やかで人間が出来ていて「こういう高齢者になりたい」と私は常々考えていた。
子供達二人は、帰省の度に必ず貰えるお小遣いや買ってもらえるオモチャや服を楽しみにし、一度として帰省を嫌がった事は無い。(子供って現金なものよ)。
子供達の車の運転免許の費用や、大学入学時の御祝い金等、私としてもとても有難かったので人の事は言えない。訪問すると、いつもは仕事子育てで忙しい私をゆっくりさせてくれ(つまり子供達の遊び相手や食事の用意をしててくれて)自分の実家よりこちらで過ごす方が好きだった。
自分の実家では女は酒好きの父の酒の肴を用意するのが忙しく、ゆっくりできなかったのである。その上父は子供の相手もできなかったので、子供達も退屈して行くのを渋った。
義母は専業主婦だったが、若い頃嫁姑関係で苦労したらしく、私を実の娘のように接してくれた。子供が夫とその弟の男の子だけで実の娘がいないからでもある。私に対して一度も嫌味や文句をぶつけたことは無く(私が気が付かなかっただけかもしれないが)たまに実の息子(元夫)に対する不満を延々とこぼすことがあるくらい。
海外旅行が趣味だったが舅の心臓病の悪化で「もう長く家に一人に置いとけないから」と80才代になって断念された。旅行好きの私とは話が弾むのである。
高齢になっての病気との闘い
舅の方は、もうこれは病気のデパートの様な人である。不整脈で心臓に血栓が出来ない様に抗凝固剤を服用しているため、手術など医者から敬遠される身でありながら(血が止まりにくいから)何回も大手術を繰り返している。つい去年も大腸がん摘出手術をしてなかったか。
舅はもう91才、普通はもう手術などしないお年頃だ。しかし80才代だけでも脊椎膿瘍手術、膝の人工関節置換術をしている。医者が勇気があるのか、舅が強硬に手術を希望したのかは定かではない。
そして今年の夏、2㎝位の肺ガンが見つかり、状況ではまた手術する気マンマンでいたらしい。ところが今月のCT検査で『肺癌の進行はないが、肝臓にも小さな癌がある』ことが判明。さすがに2個取る手術は無理と医者に拒否されたとか。年齢的にも進行は遅いはずなので定期的なフォローでガンとの共存という方針である。
他にも泌尿器にも問題はあるし、人工関節の膝も痛み、ほぼ毎日何らかの病院通いをしていると。日本の医療制度で良かったね。外国ならとっくに破産しているかもしれない。しかし近いうちに75才以上の後期高齢者の医療費負担が1割から2割に引き上げられることを嘆いていたので頭はしっかりしているという事だ。私が後期高齢者になるまであと約14年。2割で止まっていればいいけど。
長寿は喜ばしいが、目指すのは健康長寿だ。みんながみんな舅のように医療費がかかっては日本の保険制度は破綻するかもしれない。
だが、誰が舅を非難できよう。彼は常に精一杯闘っているのである。生きることに。
身体の不調の波が定期的に来て、時々何も食べられなくなる(口に食べ物を入れたら吐き気がするそう)。痛みで動けない時もある。トイレも自力では出なくなる時がある。だが、何かの拍子に下痢。足が悪く(災害時でも近くの公民館にさえ歩いて避難に行けない。今年の水害では玄関先までみるみる水が押し寄せたと。その恐怖はどれほどだったか)病院以外の外出も難しい。
高齢になるというのはなんと辛い部分があるのだろう。生きていくことだけでも決して楽ではないと知らされる。なのに自宅で自立生活を続けている。自分のことは自分でやるという気概を持ち続け、その為に手術も耐えてきたのだった。勿論それを支える姑の力もあっただろうが。
人と人の会う事の幸せは希望そのもの!
こんなリスキーな(高齢・基礎疾患持ち)舅にこのコロナ禍の中会いに行けるはずが無く、去年の年末以来会いに行っていなかった。ところが先週次男が実家に帰ってきて、数日前にPCR検査で陰性が出たので会いに行きたいと言ったのである。(高熱が3日間出たので検査を受けたとの事。結局はウイルス性の腸炎との診断)そして私はそれに便乗することにした。2個目のガンが見つかったのを聞き、このまま舅と会えないで終わるかもと怖くなったのである。
行きたい時に直ぐ何処へでも行けるというのは、無職中の強みである。
ガソリン代と高速代を次男に出させて私の車で出かけた。
次男はコロナ陰性でも、私は一応100万人以上の人口の地方都市在住。玄関先で会えればそれでいいやと思っていたが、行って見ると思ったより舅は元気で、勧められるままついつい家に上がって2時間ほど話し込んでしまった。勿論マスク、消毒、ビニール手袋までして。
数日前までは食べれなくて栄養失調で病院に行ったが、2~3日前から食欲が回復したと言い、私の北海道土産のブルーベリー羊羹をモリモリと1本の半分を食べてしまった。何でも医者から「食べれないときはカロリーの高い羊羹やアイスクリームを食べては?」と勧められたのだとか。
早速アイスを2個食べて下痢したそう。そこにタイムリーにブルーベリー羊羹。
お義父さ~ん、だからと言って羊羹半本は食べ過ぎですよー?バランス良く他のも食べましょうね。
本当に「会えて良かった」とシミジミ思った。実際に会うというのはやはりネットを通じてより喜びや安心が大きい。
高齢者こそネットは必要
舅は「もう今は死に方ばかり考えている」と笑う。
以前記事にも書いたが、人間はいつも自分の存在意義を考える。
「何のために生まれたか。自分は生きている必要があるか。誰かに必要とされているか」
仕事(職業という意味だけでなくライフワークも含め)があればまだ生きやすい。また身体や頭が元気ならボランティアも出来る。
しかし誰からも必要とされず、何も生み出せないと自覚しながら生きるのは辛い。特に今の高齢者の年代では。今、舅を支えているのは明らかに姑である。姑からその存在を必要とされる事。だから嫁に先立たれた男性は早死にするのよね(と統計に出ている。その逆は無いが)
ところがこれからの時代はどうだ。インターネットがある。
歩けなくてもPCひとつあれば、出来ることは無限にある。仕事も趣味も、何らかの発信や表現も。勿論誰かの役に立つことも。相手は世界中にいて、誰かが答えてくれる。たとえ四肢が不自由になっても、遠くない未来では音声や視線で動かせるようにもなるだろう。
これからの高齢者はインターネットが使えなければならない。身体はどんどん衰え、昨日出来たことが今日はもう出来ないという年代に、足を踏み入れていくのが分かっているではないか。
今は生活に無くても何の支障もないかもしれない。「とてもついて行けない」としり込みするかもしれない。だが高齢者には『自由な時間』がある。ほんの少しずつでも慣れていけばいいのだ。仕組みが分からなくてもルーティン操作なら覚えられる。
行政は高齢者にウォーキングや栄養などの身体面ばかりを気にしているけど、公民館などでPC操作無料講座とかバンバンやってほしいな。今75才の高齢者もあと25年生きるのよ。独居老人も今後はもっと増えるだろうし。
私はインターネットは高齢者の心と頭を守れるものと確信している。
それではまた次回。ごめんなさいませ。


コメント