「気」と呼ばれるものがある。目に見えず計測もできないが、昔から人や物を内面から支えていると信じられてきたものである。元気、活気、病気、などはそうだ。
また、空間や傾向を示す場合もある。雰囲気、景気などである。
病気や景気は数値化が可能だったりするが、ほとんどは「感じる」しかなく、「流動的」。
漢方医学や風水では「滞らずに流れている」のを良しとするとか。その方面は詳しくないが、日本人であれば「気」は日常的に無意識にでも感じているだろう。
たとえば家族や友人が「なんだか元気が無い」とか「このレストラン、雰囲気いいわ」。具体的に何がどうかと説明しにくいが「そんな気がする」。「気」は「気持ち」を表すこともある。「悪気」や「短気」。やはり目に見えなくて流動的である感情のこと。
全ての生きとし生けるものには「気」があるとし、アニメではその「気」を集めることも出来たな。修行をすれば「気」で相手を倒せるという武道もあるらしい。
活気とは何ぞや?
何故今頃「気」を気にするかといえば、一昨日面接に行った職場に「活気」を感じたからだ。
物事の評価の大半は比較から成り立つ。つまり私が何処と比較したかと言えば、昨年面接を受けた所である。そこでは感じなかった「活気」。
去年の所は、別に面接落とされたから後付けで「活気」が無かったと言ってないよ?面接受けている時から「う~ん‥」と感じるものがあったのだ。建物内部のそれこそ雰囲気とか、相手の表情やものの言い方とか。これではここは流行ってないだろうなあ。(失礼な。でもそれならそれで流行らせる対策を練るのも楽しいかも、と思ったのだが)
しかし今度の面接には驚かされた。面接がいい意味でシステマティックなのだ。
まず面談室に通され、5~6枚の説明書や承諾書、記録用紙を渡される。それにはそこの理念や方針が説明されており、確認事項もかなりの数。問診票(?)の設問も多く「最近読んだ本とそれで感じたこと」なんて、まるで就職試験である。短時間で質問の趣旨を読み取り、考えをまとめ文章化するという懐かしい作業。ホームページをどれ位見たかもさりげなくチェックしてあった。
組織は人である。医療もある意味サービス業だ。特にSMSが発達した現代では皆が口コミを参考にする。一人でも変なスタッフがいれば評判が落ちる。白い画用紙に一滴墨汁が落ちただけでも致命傷になることがあるのだ。安易な人選は命取りということをここは良く理解しているのである。このくらい慎重に厳重に人選して当たり前だ。
そして院長、婦長との面談。その後婦長だけの面談。それで終わるかと思いきや『マネージャー』という人が来た。(そこで希望の光が!)
そのみんなが明るく「活気」を感じさせる人達であった。マスクをしているがずっとニコニコしているのが分かる。声も明るく端切れが良い。いわゆるポジティブオーラを発散しているのだ。あえて具体的に言えば、仕事に対する姿勢や、これから迎え入れるかもしれない人間に対する気遣いとか?
「活気」とは集団的ポジティブ思考だと知れり。
「気」の動転に備えるには?
もともとホームページを見て「この院長はクレバーで尚且つ面白い」と感じていただけに、「選ばれたい。この方達の1員になりたい!」と改めて思った次第である。
その思いは翌日にダメ押しされる。『採用』の電話があったのだ。
何という速さ、決断力!多分その日のうちに面談スタッフで話し合ったのだろう。
前の面接では、結果が封書で来るのに2週間もかかったのに。
こうでなくちゃね。(既に身内贔屓が始まっている)
どうやら4月から事業分野を拡大するらしく、その為の募集だったそう。今までとは違う分野になるので勉強は必須である。だが、勉強する事とその目的が明確なのは楽しいな。
ただ一つ失敗したのは、こんなに対応が早いと思わなかったので「再来週(1月中旬⁉)からどうですか?」と言われ、すぐには答えられなかったのである。
マネージャーさんに『シフトの休み希望は10日締めなので、それから2月のシフトが作られる』と聞いていたので(採用連絡は9日)仕事は2月からかなと思い、1月は目いっぱい予定を入れていたのである。面接では「すぐにでも働けます!」と言っておきながら。
「出来たら2月からでお願いします。(出来なくても構いません)」と伝えたが、マネージャーさんの戸惑いが電話越しに伝わってバツが悪い。これで評価が下がったらガッカリだな。後で、全ての予定を捨てて働き始めるべきだったかなとウジウジ思ったが、その時は不意打ちの採用連絡で気が動転してしまい、深くは考えれなかったのだ。
思うに「気が動転する」時は相反する考えや感情の間でどちらかに決めきれず、頭の中で激しく右往左往している状態だ。行動的にはフリーズするかとんでもない事をする。これは決定した後に「失敗したくない」と無意識に思っているせい。失敗の無い人生なんて無いのだから、慌てずに覚悟を決めるだけだな。(パニックは生まれつきの脳のシステムのせいという説もある)
「採用取り消し」にならなければ挽回の機会はある。「取り消し」にもしなっても、それはバカな私がまた一つ学んだということ。クヨクヨしない!
リストラ生活の弊害でもあるな。この数か月私の時間はゆっくり流れていた。これからは気を引き締めて社会の流れについてゆかねば。
60年も生きてきて、まだ「気」に振り回されるなんて、修行が足りない。いや、人は一生この「気」に振り回されることを覚悟して生きていくべきなんだろう。
昔からこの「気」をコントロールするべく宗教人は修行をしてきた。それが出来るようになった人が『悟りをひらいた』ことになるのだろうな。「気」を使いこなすなんて、凡人には所詮無理かもね。
「気」は想い、感情。「気」は信念や覚悟。人はそれらを発信したり受け取ったりして、人生に色が付いていくのだから。
それではまた次回。ごめんなさいませ。


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