仕事始めました! ⑱お医者さんとの距離

 暗闇で何処に向かって歩いていいか分からない時、手を引いて「こっちですよ」と言ってくれる人がいたら、フツウ迷わず従うだろう。病気の時の医者とはそういう者である。間違った診断、手術の失敗などで痛い目に会った人以外は。
 時には教祖に対する信者?アイドルに対する熱烈ファン?と見紛うぐらいの入れ込みようの人もいる。教祖もアイドルも医者も人間なのだから、そんなに信じちゃいけないよ?と言いたいけど。

 高齢者はお医者さんのファンになる⁉

 思いがけず病気になって(幾つになっても人間は自分だけは病気にならないと何処かで思い込んでいるフシがある)怖く心細くなった時に、ご親切にも(それが仕事だけど)色々説明してくれ、自分の為にアレコレ治療の方法を講じてくれる。ああ、有難いと高齢者はコロリとなるのだろう。

 高齢者は淋しい。デイサービスなどで沢山の友人がいるならまだしも、家族のいない(もしくは働いていてゆっくり構ってはもらえない)人や、町内会や老人会で活躍するにはもうトシを年を取り過ぎて何も出来ないかさせてもらえない様になると、「だあれも自分の事など考えてくれない」という孤独感を持つと思う。そして迫りくる病気の不安。
 そこに唯一、親身に自分の事を考えてくてる人の登場である。しかもその人は知識も豊富で社会的地位も高い(高齢者にとっては)。まあ、ヒトによっては芥川龍之介の「蜘蛛の糸」状態か。

 憧れは遠くにありて想うもの?

 昨日、亡き父の3番目の妻(つまり義理の母?)ここでは取りあえずサヨ子さん(仮名・79才)とする。彼女に頼まれて、とある総合病院に出向いた。なんでも、検査結果を家族と一緒に聞きに来るように言われたそうだ。
 サヨ子さんは6年前、乳がんで右乳房切除とリンパ節郭清の手術をしてフォロー中である。手術ののち数回の放射線治療した後、内服を続けていたが昨年肺と骨に転移が見つかった。しかしその為に変わった内服薬の副作用が嫌だったのと、コロナ禍で半年間病院に行かずに放置していたのだった。

 サヨ子さんは友達は多い(と言っている)。その友達に「小さな癌ぐらい、自分たちの年代はみんなもってるよ。」と吹き込まれていたらしい。(みんなってどれくらいだ?)

 サヨ子さんが住んでいた私の実家は兄名義で、兄は来年の退職と同時に処分したがっていた。サヨ子さんは多くない年金でも暮らせる公団を探していたところ、昨年秋に当たって、早速引っ越しをして忙しかったというのもあったらしい。説明を聞きに行った総合病院は引っ越しした先にほど近く、前の病院の医師から紹介されたところだったのだ。

 サヨ子さんは子供もいないし、兄弟は皆お亡くなりになり、親しくしていた姪は介護で家を出れないと言われたとかで私にお鉢が回ってきた。父を看取ってくれた人、頼まれたら断れない。
 車を1時間半飛ばして、予約時間の30分前の待ち合わせ。待ってる間いつもの様にサヨ子さんは喋り通しであった。(会話はキャッチボールであるという事はサヨ子さんの辞書にはない)

 今までの経緯は6年前の手術に立ち会ってからは殆ど知らなかったので、ひたすら聞き役に回っていたが、良く出てきたのは○○病院の○○ ○○先生(医師・フルネーム)。どうやらかかりつけ以外にセカンドオピニオン的に受診したらしい。そして話から如何にその医師に傾倒しているかが伺えた。

 その医師がいかに有名で評判良いか。○○ ○○先生(呼ぶときは常にフルネーム)がこう言った、ああ言ったなど。ならその先生にずっとかかればいいだろうに、「偉い先生だから予約が取りにくく、病院も遠い。(憧れよりか現実をとったというところか)そもそも、もう治療はする気は無い。覚悟は出来てる。2人に一人はガンで死ぬのだから自分もそうで仕方が無い。緩和だけでいい。」などと言った。
 つまり、今までのかかりつけの医師を信用していなかったのよね。診察の時に親身さが感じられない、医師は薬を出していれば儲けるのだからと言う言葉からも伺える。

 待ってる間に待合室の自動血圧計で血圧を測られる。なんと上は180台。「こんなはずは無い!」とその値の紙はすぐに握り潰し、違う手で測り直す。今度は140台で「いつもは130台なのよ」。まあいいけど。

 幸あれと願うのみ‥!

 順番がきて呼ばれて診察室に入ると、「娘さんですね」と確認されて思わず「義理の」と言いたくなったが。
 2週間前、紹介された初めてのこの病院で半年ぶりに検査(CTなど色々)を受けての結果説明である。今度の医師は40前後ぐらいの小太りメガネさん(サヨ子さんはとっちゃんボーヤみたいなと表現)。いかにもいつも高齢者に説明してるんだろうなと察せられる大きな声とゆっくりな口調。

 普通日本語は、会話の中では助詞や接続詞は名詞にくらべて音量が小さくなる。
 例えば「サクラ水仙咲いた」ではと・が・にが無くても大体意味が分かるから、はっきりと発音しない場合が多い。しかし舞台の役者さんは違う。「サクラと水仙~」となると微妙にニュアンスが変わるので全部をハッキリ発音するのである。

 この医師は舞台に乗せたくなるような喋り方であった。説明も分かりやすく悪くないと思っていたら、途中でサヨ子さんが「娘は看護師してるので」と余計なことを言ったのだ。いや、義理だしほとんど会ってないし。
 亡くなった父もそうだったが、医師の説明に付き添うと必ず「娘は看護師で」と言うのはやめて欲しいんですけど。医師もそうだが医療は科が違うと知識が追い付かなくてほとんど役に立たないのよ?
 案の定、その医師は「おや?」という顔をした。多分『看護師の娘がいる所でなく、どうしてわざわざ隣の市に引っ越したんだ?』と思っただろう。一応近くを勧めたけど、今度の引っ越しは事後報告なのよね。そもそも人の話はあまり聞かず、困った時だけ連絡してくるご性格。
 「娘さんは何か訊きたい事ありますか?今、何をされてます?」など話を振られ、私は大いに困ったのである。

 結局、肺や骨の癌は半年前より数も増え大きさも進行しており、「何もしない」というサヨ子さんの決心はもろくも崩れ(たぶん体調がいいから進行していないと思っていたのだろう)、この病院での治療を続けることになったのである。今度はお医者さんと適正な距離を持ってね。
 この医師にも○○○○先生が、と言ってたけどね。ご存じ無いふうだったよ?

 「前の主治医から丁寧な紹介状を頂いた」と聞いて、前の医師に対する悪感情が多少は和らいだようだった。(もしかしたら他院に紹介できる嬉しさが紹介状に表れていた?)

 一人暮らし、低所得、高齢、癌。それに加えて性格的なもの。出来ることはしてあげたいとは思うものの‥。私は「幸あれ」と願うばかりである。
 今訪問看護で看ている方々と未来が重なって、心が暗くなった1日だった。

 それではまたね。ごめんなさいませ。

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