仕事始めました!㉙苦しみよ、こんにちは

 ワークライフバランスという言葉がある。仕事と人生や生活とのバランスだ。

 ひと昔、いやふた昔まえの日本人は(特に男性)企業戦士として仕事という戦いに日夜明け暮れ、家事や育児を妻に押し付けひたすら日本の高度成長に寄与した時代に生きていた。しかし女性の社会進出が進んで女性も「家事や育児を分担してよ!」や「定年後の抜け殻問題」などの様々な理由から、仕事だけをしている人生ってどうよ?と疑問視されて、じゃあ「人生を楽しみながら仕事もする」為にバランスをとろうという甘い考え(?)のもとに出来た言葉がこれだ。

 日本経済は『失われた20年(30年という説もある)』と言われるように所得も上がらず、デフレといわれながらもモノの値段だけは微妙に上がって生活は昔より確かに苦しくなっている。モバイルやエアコンなどどんなに生活が困窮してても買わねばならないものも増えている。

 今の若者は『社畜』になってシャカリキ働くか、結婚しても2馬力で働かなくては家庭生活や育児が出来ない状態だ。はたして少ない休日をレジャーで埋めるだけが人生の楽しみなのだろうか。

 まあ、余暇に何をしようと本人の自由である。しかし、いつの頃だろうか。私が『与えられるだけの楽しみ』だけでなく、与える楽しみや感動を共有することにやりがいを感じるようになったのは。映画やテーマパークに行って楽しむのも嫌いではないが、物足りないのである。

 人生には苦労が必要

「何が物足りないか」。

 苦労とでも言おうか。人は苦労が大きければそれだけ次に来る喜びも大きく感じる動物なんじゃないかな。お金を出せばすぐに手に入るモノやコトに大きな感動は感じない。「いや、あの時のライブはめっちゃ感動したし!」という方、それはネットではなくライブだから。チケットを買う苦労、ソコに行くための時間や交通費、そのアーティストを想ってきた歴史の集大成。感慨とでも言いましょうか。必死に節約して貯めたお金で行ったディズニーランドなら感動もひとしおだ。人生における適度な苦労は微妙な苦みや酸味が料理の味に深みを持たせるようなものである。

 趣味や娯楽において、苦労というといささか語弊があるかもしれない。この苦労は単に『辛いことをする』という事でなく『報酬を我慢する辛さ』とでも言おうか。

 人は報酬が無ければ動かない動物だ。一見報われないと思われる事をやっているように見える人も、実は自分で自分にせっせと報酬の言葉をかけてやっているのだと思う。しかもこの報酬は早く貰えるものなら早ければ早い方が良い。頑張った成果が目に見える形で直ぐ手に入るならモチベーションも上がるというものだ。しかし周知のとおり「何かの習得や上達」は時間がかかる。いつ貰えるか、また貰えるかどうかも分からないひたすら歩みながら報酬を待つのは苦痛なのである。その辛さの事。

 しかし苦しむことと楽しむことはコインの裏と表、同じコインなのだ。どちらの面を見るかは自分の考え方次第。(不治の病のようなあまりに大きな苦しみは別だろうが)

 この苦しみは誰かから与えられるものではない。自分が目標に向かって進むための遅々として進まない上達や思い通りにならない自分への落胆。だがそれは山登りによく例えられるよね。汗をかき、険しい山道を登ってこその見える景色のすばらしさ。たとえ頂上が遥か先でも自分が頑張ってきた足跡が見える。達成感や自分を誇りに思う気持ち(人間ってどこまで自分が好きやねん)。

 これらを仕事に求める人もいる。しかし私は仕事にではなく芸術分野の趣味に求めた。高い山はすなわち憧れである。残念ながら仕事の山には憧れを持てなかったのよ、私。

 だから趣味は私にとって人生の一部である。一生登り続けていく山なのだ。「ただの楽しみ」ではないし、他人にそう決めつけられたくない。ところが趣味は「ただの楽しみ」と思っている人にはこれは理解しがたいことらしい。特にこのコロナが人を狂わしているこの時代には。

 コロナが奪ったもの

 『今は非常事態なのだ!コロナの感染拡大を防止するためには趣味なんて我慢すべきなのだ!』と信じて他人にそれを強要する人達がいる。(その趣味で本当に感染拡大するならともかく、今はそんな明確なデータも無く世界は徐々にビフォーコロナに戻って行こうとしていると私は思っている)そう思うのは自由だしそれに沿った自粛を自分がするのはいいが、他人もそうすべきと声高に非難するのはいかがなものかしらん。

 この世の中には「無くても世界は回ってる」事に命をかけて生きている人達はゴマンといるのだ。特にスポーツや芸術の分野にそれは多い。「プロは生活がかかっているからやっていいが、アマはダメ」とか、本人の気持ちは本人しか分からないのに、気持ちの上でのプロとアマの線引きは何処でするのか。他人を安易に非難する人はそもそも想像力が貧困なんじゃ?(これも他人批判かな‥)。

 『コロナで密になり感染拡大を避けるため』に私が所属していた趣味のサークルは未だに休止中である。サークル活動はやってこそのサークルの存在意義があるのではと思うので、こういう時期でもやりたい!という人だけが集まって、細々とでも活動してはと思うのだが(私もその一人である)どうやら『今自粛もせずにその活動をやることは感染を拡大させる社会悪で、歴史あるそのサークルの品位を落とす(つまり外聞が悪い?)コト』と言う意見があり、もう2年以上活動停止中である。

 当然私を含めリスクとその人生の一部である趣味を天秤にかけて趣味を取った一部のメンバーは別グループを結成して活動を続け、サークルは分裂状態に。おまけに分裂したのは活動グループのせいだとばかりに活動してない人から「サークルを返せ!」とまで言われる始末。

 いや、誰のせいでもないのだよ。誰もが自分が信じる道で生きる自由がある。

 だが生きることは何らかのリスクを抱えて生きるということだ。中世のペストやエボラやコレラみたいに致死率が高い訳でなく、しかも日本ではガンや交通事故や自殺者の方が死亡数が多いぐらいなこの病気を恐れて、異常なまでに「人に感染るかもしれないからー!」と他人まで非難・規制するのは「人をはねるかもしれないからー!車の運転をやめて!」と同じように思えるんだけどね。車の運転にはリスクがある。でも必要だから車は使っている。当然何かあったら自己責任である。だから使わないのも自由。

 ちゃんと自粛してる人がいるからこの程度ですんでるんだ!と言われそうだが。そう?ロックダウンしてないのに?無意味な緊急事態宣言ぐらいで?医療がひっ迫するのは完全に政府と医師会の都合だし。

 ともあれ、メディアの嘘や、政治や海外の状況など多くのことを学ばせてもらった今回のコロナ禍であったなー。

それではまたね。ごめんなさいませ。

 

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