人間の身体は一人一人違って、その上複雑だ。
だから、人の身体がどうすればどうなるのかの方法論なんて、統計上あるいは経験上のものでしかない。薬も治験の結果効果があった人が多かっただけで全ての人に効いたわけではないだろう。
薬を飲んだら治るはず。カロリー制限したら痩せるはず。糖質制限したら痩せるはず。
理論上はそうだ。
なのに「私はダメだった。」「痩せれなかった。」のはなぜ?
一つは血糖値の罠。急激な血糖値のアップダウンで理性が飛ぶ。
次に小麦食品の罠。グルテン中毒の沼にはまっていたら、そう自覚しない限りは抜け出せない。前回までここまでお話しした。
今回はちょっと前半は理屈っぽく説教モードだがゴメン。後半は私の黒歴史だ。
なぜ痩せない⁉再確認
効果が無かったのではなく、ほとんどが効果が出るまで続けることが出来なかったせいなのだ。同じ方法でも当然、個人によって効果が出るまでの期間は違ってくる。
糖質やカロリー制限を同じようにやっても、他の栄養素が足りてなければ脂肪は減らない。そもそもの筋肉量が違えば基礎代謝も違う。
同じ努力をしてるのに「1ヶ月で2㎏痩せた!」と「1ヶ月で500gしか痩せない」の違いになって当たり前なのだ。
直ぐに結果を求めるのは、やっている事が辛いからなんでしょ?。
「早くこの苦行から、解放されたい!痩せたらもうこんな我慢しなくていい、今だけ頑張れば‥。」と思ってる人は永久に痩せれない。
つまり、妊婦さんでも「今だけ我慢」じゃダメですよ。
今辛いと思っている事が辛くなくなる日はくる。少しずつ時間をかければ。
人生は「自分が一番気持ち良く生きていける食事を探し続ける旅」なのだ。
私達は一生幸せを探し続けながら生きているでしょう?
では幸せって何?愛し愛されること。生きがい・やりがいのあるライフワークがあること。それらを自由にこなす健康な身体があること。
今から始めよ!一個だけでも
今老後2000万円問題とか老後貧困等が日本社会で取り沙汰されてる。
年金だけでは食べていけないから準備が必要だと。
そう、あなたが太っているなら、日々これからの人生の為の「健康貯金」を食いつぶしていることになる。
今はまだ若いから。今は仕事が忙しくて余裕がないから。今は子育てが大変だから。
それではいつ?老後までもてばいいけどね。
何年か前に「今でしょ!」という言葉が流行った。
なぜあの言葉があんなに流行ったのか。それはほどんどの人が「今始めない」からだ。
明日からしよう。来週から。来年から。子育てが一段落したら。
ダイエットなら、お正月が終わったら。旅行が終わったら。○○歳になったら。
それまでは何も考えないで食べ続けるつもり?
人生で完璧な状況で始められることなんて皆無だ。しかも、あれもこれもは無理。
こけない速さで考えながら走る。とにかく走り始めよ!まず一つから!
何度も何度も何度も言うが、肥満を解消するのは「我慢することではなく、我慢しないで健康的な食事で満足する身体に改造する食生活改革」だ。
結果を急がず、だが歩みも止めず、少しずつ知識を増やしながら、諦めずにゆっくり変えていくこと。これ以外に正解はない。
理解なしに「こうすれば痩せれる。」「これを飲めば痩せれる」を鵜呑みにして、知識も増やさず食事も変えなければ一時的に痩せても継続しない。
なぜ偉そうにこんな事を言うのか、私の事をお話ししよう。
それはアトキンスから始まった
私が最初にダイエットに成功したのは18歳のとき。
高校卒業時私は、母の高カロリー政策で60㎏(身長152㎝)にまで太っていた。
それまでも、痩せようと食べる量を減らそうとしたり、お菓子を我慢したりしてみたが
出来ず、受験ストレスも加わり週末は一人(兄は大学生で一人暮らし、父は単身赴任で母は毎週末、父のもとへ行っていた)で、淋しさも拍車をかけ好き勝手食べ、体重は増加の一途。
そして専門学校の寮に。
エレベーターの無い寮の階段を荷物を持って降りる私を他の入寮生の親が見て、「転がった方が早いんじゃない?」と言ったことを後日同期生から聞いた(もちろん痩せたあとよ?)
「えっこれだけ?」入寮した晩の御飯に驚いた。おかずのメインは塩サバだった。
塩サバは我が家ではメインのおかず(揚げ物が多い)の他に漬物と一緒に食卓の真ん中あたりによくある副菜。他には野菜の副菜2種と汁もの、以上。
その後も同じような食事が続く。
ここにきて我が家の食事がいかに豊かすぎたかを知ったのだった。
おかずの数は常に4~5種類。おかずが多ければ当然食べるご飯も多くなる。たとえ時間が無くてめん類だったとしても、肉・卵・野菜がてんこ盛りで、只のインスタントラーメンが大盛りチャンポンになっていた。
レトルト食品や冷食が一般的でない時代に仕事も持ちながらよくぞここまで、と母には頭が下がる思いだが、これが家族全員を肥満にし、母の命も縮めたかもしれないと思うと手放しでは喜べない。
かくして入寮し1ヶ月でそれまでどんなにしても減らなかった体重が1㎏減った。
「今度こそ痩せれるかもしれない」俄然やる気になった。
その時出会ったのが「アトキンス法ダイエット」だった。
今の低糖質ダイエットの先駆けとなったものだ。
アメリカの医師のロバート・アトキンスが、1972年に「アトキンス博士のローカーボ(低炭水化物)ダイエット」を出版し、1978年にこの和訳本を通販で手にいれたのだ。
当時1万円(42年前)する高価なこの本をどうして選んだか今は分からない。
英語の直訳なので分かりにくいし、なんせ百科事典(今の若い人は見たことないよね)のように分厚いものだった。ただ分かったのは『炭水化物を食べなければ痩せる』ということのみ。
そこで徹底的に炭水化物だと思うものを抜く事にした。パン、ご飯、めん類はもちろん煮物の芋やサラダやスープのマカロニ、チャーハンのグリーンピースまで。
脂肪は急には減らない。だが順調に1月に1~2㎏ずつ減っていき、1年で14㎏の減量に成功した。人生初の輝かしい快挙。合コンを経ての初デート。
この頃の私は二度とデブには戻りたくないの一心で、生活の全てを痩せる為に向けていた。もっと痩せたい!もっと!もっと!
厳しい糖質オフを長期間続けてはいけないとも知らず。
そしてそれに心が疲れていったのだ。(すでに栄養障害があったのかも)
「どうして他の人の様に普通の生活をしたらいけないの?」
でも他の友達と同じように食べたら、直ぐに体重がジリッと上がる。
で慌ててまた食べないようにする。
今考えたら適正な体重ではなかったのだ。痩せすぎていた。一緒に寮のお風呂に入った友人から言われた。「ナチスドイツ収容所の人みたいに骨が浮いてるよ」と。
そして突然の母の死。心のバランスが崩れて過食症になったのは以前書いた。
過食と、罪悪感による絶食に近い食事制限を繰り返してとうとう生理が止まった。
肝機能も悪くなっていたのだろう。周りから顔色が悪いと言われても聞く耳をもたなかったが。
生理が始まる位まで体重を戻した頃にはアトキンス法などすっかり忘れ、逆に生理がなくなった理由はそれのせいだと責任をなすりつけていた。痩せたのは炭水化物を減らしてカロリーが減っただけだからだと。
そうしてアトキンス法でダイエットに成功したのも関わらず、なぜ成功したかを正しく理解していなかった私はカロリー主義の誤った認識のもと、ダイエットの長い闘いへの道に迷い出たのだった。
低糖質が全ての人の健康的な食事だというつもりはない。
現状でバランスがとれてて何の不具合が無ければいいのだ。
だが、私にはいろいろ不具合があった。あなたはどうかな?
後半暗くてごめんね~。また次回。ごめんなさいませ~。


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