人間とは何て欲深い生き物だろう。満ち足りるという事を知らない。
一つ望みが叶えば、早速次のターゲットを探し出す。
だからこそ文明は発達し、次々と新たな発明がひしめきあっている。
時々ふと思うのだ。人類は何処に向かっているのだろうと。
国と国は緊張を増し、利権をめぐって他人を犠牲にしてまで策を巡らす。
いつになったら全人類が平和共存を目指すのか。そもそも人間はそんな風には出来ていない不完全な生き物で、そんな事考えるのは一部の平和ボケしている者達だけなのか。
この世界を良くしようと頑張っている人たちと同じくらい、他人なんてどうでもいいというような所業の人たちもいるという事を知ることがオトナになることだろうか。
結局人は「善なるもの」を信じることしかできないのか。だから宗教が存在するのか。
ということで今回は宗教がらみ。のっけから暗い雰囲気だね~。これが節約とどう関係あるんでしょ。
私と宗教との関わり
私は無神論者である。とはいえ、他の大多数の日本人と同じく、結婚式は神式で、親の葬式は仏式、たまに神社にお参りもするがそれは観光の時が多い。つまり生活と宗教は分離している。
毎日神に祈りをささげたり、季節の宗教行事に参加したりは無い。
宗教によっては食べ者や日常の行動も決め事があり、多くの事が自分の裁量の範囲外ということもあるらしいが、殆どの日本人には無縁だ。宗教など無くて困らないことに外国の人達は驚くという。
歴史を見る限り宗教の名の元にどれだけの人間が殺されたか。または救われたか。
生まれた時から神様に見守られてない(見張られてない)私には、あってもなくても人間の本質は変わらないんじゃ?と感じる。
昔は生きていくだけで辛い時代だったからこそ必要だったのだろうけど。
神がいなくては隣人を愛したり、自己反省したり、自分を制したりができない訳ではないだろう。
しかし昔からどの国でも宗教の指導者はその地域の人々のカウンセラーであり、よろず相談請負人であったので、その存在が希薄な日本にはその役割をになう人が必要かもしれない。
そこで心が弱った時に入信する人が多いのだろうな。孤独な自分を無条件に受け入れてもらうにはうってつけてである。コミュニティーが必要な人はいるだろうし。
我が家の近くに大きな宗教施設がある。休日ともなれば続々と信者が列をなして向かっているのをみかける。見た感じ新興宗教っぽい感じ(建物が教会とも神社仏閣とも違う。こんなに迷える子羊がいるのね、と思う私は幸せ?)
知人の友達がそこの信者で勧誘され、必死で逃げたと聞いた。
もちろん何を信じようと否定はしないし、個人の自由。そのことで幸せを感じれればいいのだから。
お金のかかる趣味と同じ感じといったら罰当たりだろうか。
ただ、その巨大な建物を見て、この建築費用は何処から出ているのかなと考えてしまうのである。
つまりは駅前に大きなビルを建てる企業と同じではないかと。(税金優遇の点で違うが)
合法的に莫大な利益を得るためには、出来るだけ多くの人から損してると思われない程度の金額を集める事、というのは資本主義の原則だ。
その宗教施設がそうだと言ってるのではなく、怪しげな宗教もあるのでご注意ということ。
私が出会った怪しげな?
私がまだ20代で独身だった頃(35年前ぐらい)。自分の行くべき道(医療かダンスか)や結婚出来るか等いろいろ不安だったころ、「素晴らしい人がいる。不思議なパワーを持っていて導いてくれる」という知人がいて、会ってみる気になったのだ。
その人が住むという所に電車や船を乗り継いで出かけていき、知人の紹介で視てもらうことになった。
初回5万円。高いと思ったが、それで悩みが解決できるならと支払った。
行った先は個人の家で、その人(50代位の男性。先生と呼ばれていた)と2~3人の信者(?)がいて、しきりにその人の凄いパワーをほめそやしていた。(なんでも触らずに明かりを付けたり消したりとか予言したりとか‥。)
それで、何を言われたかというと「そのままでいい」だった。凄いパワーも見せてもらってない。
何のためにはるばるここまで来たのだろうと首をひねって帰ったのを覚えている。
たぶんその人は、私がその言葉を欲していると思ったのだろう。
私はその頃はまだ運命なるものがあると信じ、未来の予言が聞きたかったのだけど。(それを聞いたら聞いたで問題だったかも)
その後もその知人に「先生」に会うように勧められたが断って2度と会わなかった(たぶんその都度お金は要っただろう)
悩みを誰かに解決してもらおうという考え自体が間違っているということが今では分かる。
誰かに話したり、こうやって文章にすることで考えを整理したり悩みの本質に気がついたりはあるだろう。幸せになりたくて、苦しみたくなくて悩むのだが、幸せも苦しみも自分の考え方の中にあるとこの年になってやっと気が付いたのだから。
その後も「○○の母」に占ってもらったり(大きな商売をしている跡取りの長男に嫁ぐと言われたが、結婚したのはの普通のサラリーマンの長男だった)前世を視てもらったりした(ビクトリア女王時代のイギリス貴族の女性で死んだ後居城に化けてでていたらしい)が、今は面白可笑しい飲み会ネタだ。
星占いの本も何十年も毎年買っていた。今考えたら本気で書いてある事を信じてた。当たるようにあやふやに書いてあるからね~。こうやって沢山のお金を使ってきたからこそ、今必要なものと必要でないものが分かる。
運命なんて無いと思う。いい運命だったらロマンチックだが、辛い運命が最初から決まっているなんて信じたくない。
私達の前には決まった運命の道が1本だけあるのではなく、無数の選択肢とそれに繋がる無数の未来への道があるだけだ。だから未来は誰にもわからない。
怪しげな教祖さまや、占い師(そういえばそういう占い師に洗脳された芸能人がいたねぇ)にあなたの大事な財産を狙われないように祈りたい。
信じるのは人?奇跡?
それと若い時は超自然的なものに惹かれるよね。
不可思議な事を信じないのは頭が固い証拠だと思うのだ。
そういう神秘は否定しないが、その能力があるからってその人が偉いとか神だということにならないと思うのだが。
宗教の始祖が偉いのは人々の心を救おうとした事で奇跡を起こしたことではないだろうに、今だに奇跡にこだわるのはどうしてかな。
どうやら人間には誰か素晴らしい人を崇拝したい、心の支えにしたい(今、それをメンターって呼ぶらしい)という欲求があるみたいだ。だからアイドルやスーパースターを追いかける?
私は後にも先にもファンになったのは中学時代のビートルズだけだ。
どんなに素晴らしい芸術家や有名人も作品や偉業には感動するが、その人の私生活や個人的なことを知りたいとは思わないし、お近づきになりたいと思った事が無い。(頑張っている人は応援したいとは思うが一時的なものが多い)
ビートルズの時もレコードや映画を繰り返し楽しんだだけである。
自分でも冷めてるなーと思う。でも新興宗教にはまる人ってそういう心理?
世界中で昔から信じられている宗教の神様(善の最たるもの)を心から信じ、心の平安を実際に得られている人は幸せだと思う。どの神様も最初は平和、隣人愛を説いているのに途中から勝手にねじまげて争っているのは人間だしね。
私はこの一連の記事を書きながら、自分に沢山の自由な時間があり、何を買って何を買わないか、いつ何を食べるか全ての事を自分の裁量で決められる幸せを感じている。
もちろん足りないもの(家族との日常の触れ合いや仕事の充足感など)もあるが、日本というこの幸せな国に生まれた私達は誰でもその幸せを享受できる。そうしようと思えば。
お金持ちでなくても、節約をあれこれ考える生活でもこの幸せは誰からも奪われない。
それじゃまたね。ごめんなさいませ~。


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