リストラ生活も2か月を超え、ハローワーカーである私も昨日2回目の認定日を迎えた。
月末だったせいか、ごった返すような人混み。駐車場へ続く車の列を見た時に「何事⁉」と思ってしまった。ハローワーク内はそれこそ密。私達は1時間ほどの滞在だけど、職員の方々の感染リスクの方が遥に高そうだ。
「あとどれ位かかりますか」「時間かかるなら別の日に」と言われて、忙しく可哀相な職員たち。「ええと、○人待ちの状況でして‥。」
ここに来ている人は失職中であるはずなのに、そんな急な用事があるの?
法事や面接や急病には日にち変更できるはずだし。
待っている人たちの思惑は一様に「こんなはずでは無かった‥。」だろう。
確かに私も前回は20分位で終わった気がする。
時は金なり。気遣いも金なり?
ヒマだったんでその職員さん達を見ているとビジネスライクに淡々と進めている人と、一人一人に「お待たせしました」と腰低く対応している人がいる。そういう人にかぎって尋ねやすいせいか、いろいろ訊かれて時間がかかっている傾向にはある。
さて、この場合どちらが良いか。速くさっさと済んだ方がいいか、時間かかっても気持ちよく対応してもらった方がいいか。どちらにも利はある。
私自身待つのは好きではないので、行列ができるようなお店には行かないが。
だが、こちらの事情次第というのもあろうが急いでなければ(っていうか28日に一度なんだから、余裕もって来たらいかがかな?)私はたとえ待たされても丁寧な対応に軍配をあげたい。
お忙しいのは見てわかる。その忙しい中で気づかいをもらうことに人は価値を感じるからだ。
しかも無償で。(なんでもお金に換算するなよな)
今や気遣いやサービスもお金で買う時代。高級ホテルや旅館、飛行機のアップクラスなどは係の人がかしずいて様々な希望をきいてくれることに(無意識な愛され感?)心地よさを感じて高額を支払う部分もあるだろう。
自分の存在を気に留めて気遣ってもらうというのは、砂漠で水をもらうのと同じくらいに人の心が欲している事なのだ。(そういう面では夜のお店もそう?)
今の日本のサービスは3М(儲けたい・モテたい・認められたい)にフォーカスしたものだという。
確かに、気遣ってもらうのはそれだけ自分が大事にされるだけの価値があるように感じられて、気持ちがいい。(たぶん脳内で快楽ホルモンは出てるだろうな)承認欲求が満たされるとでもいうのだろうか。
人はまたこの快楽を得たいために頑張ったりもするから、あながち悪いものではないのだろうが、何事も程度の問題。「もっともっと」と欲をかいてはいけないとオシャカサマもおっしゃっている。
私の愛が足りない時代
私は21才の時に軽い鬱のような状態になった。
看護学校の寮を出て助産学専攻科に通うためにアパートに一人暮らし。(当時は看護大学は全国に2ヶ所だけだった)母を亡くしてまだ2年たっていなかった。
父は自分の事業で忙しく私の生活費も滞る状態。たった一人の兄は四国に赴任してめったに帰郷はしなかった。
「誰も私のことを考えない。今私が消えても誰も困らない」という思い。
世界で一番愛してくれていたであろう母を失った衝撃からまだ立ち直れないでいたのだ。
「誰からも必要とされない」ことを忘れる為に、同じく一人暮らしの友人達の所を泊まり歩き(寮は無かった)同級生から『ジプシー』と呼ばれた。
そして就職。新人は私を含めて3人。私はストレートで助産師になったが、後の2人は一旦看護師としての勤務経験があり現場では何をすべきか分かっていた。
一人右往左往し、叱られるだけの毎日。ストレス太り。
こんな状態でちゃんと人を愛せるわけがない。恋愛も長続きしなかった。
しかし私はラッキーだった。支えてくれたのは職場の暖かい先輩たちだった。
甘えん坊で後ろ向きな私を見守って待っててくれたのだ。家族のように。
引っ越すときには駆けつけてくれ、手術の時には付き添ってくれた。
失ったと思った家族をここで得たのだ。
私は次第に満ちてゆき、そのうちに仕事も自分を支える一つの柱になった。
就職して23年目に産科病棟が閉鎖になり、家族はちりぢりになった。あるものは退職し、みんな他の科へ別れていった。私はその2年後にやはり助産師の仕事がしたくてそこを退職した。
しかし今でも連絡を取り合って2~3年に1度は集まっている。いつもは会わないが、いざとなったら力を貸してくれる親戚みたいなものである。
私達が出来る事
無条件に愛されたい。有名だから有能だから外見がいいからとか。そんなものなくても愛してくれる人がほしい。自分が自分であるだけで。ヒトはなんて我儘なんだろう。
たぶんそれが出来るのは家族だけで、子供のうちはその内なる世界の容器を満たしてあげる必要がある。愛が満ちてダムの決壊のように溢れてこそ、外の世界にギヴすることができるようになるのではないだろうか。
何かで読んだが、人は愛されて愛を知らないと他人を愛すことが出来にくいと。
子犬の時に虐待された犬も人に懐くのが困難になると。
でも愛する事と甘やかす事の違いも難しい。
愛することは相手の為だし相手に伝わらない時もある。
甘やかすのは自分の為で相手の好意を失いたくない時や、そういう自分の献身に酔いたい時?
でも自分が愛されていると分からせてあげるのは必要だと思う。いくら相手のことを思っての厳しさでも伝わらなければ虐待とあまり変わらないのでは?
残念ながら、自分が家族にどうだったかは自信はない。
子供たちが反社会的行為に走ってないだけで良しとするかな。
人生はギブ&テイクで生きているが子供のうちはテイクがほとんど。自分のなかに愛やいろんなものを詰め込むのに忙しい。そういう時期なのだ。
オトナになって自分の容器が満たされてきたらギブの比率も増えていく。
そして仕事を勤め上げ、子供を育て上げたあとはもう、ほとんどギブの人生なのだ。
オシャカサマはおっしゃった。何も持ってなくても7つのギブが出来ると。
1.眼施:慈しみの優しい目つきで接すること。
2.和顔施:和やかに、おだやかな顔つきで接すること。
3.愛語施:やさしい言葉。厳しさの中にも愛情こもった言葉。
4.身施:誰かの為に行動すること。
5.心施:他者に心を配り、共感する。
6.壮座施:譲ること。相手の為を思って席や地位など。
7.房舎施:雨風をしのげる所を差し出すこと。思いやりの行動すべて。
だそうだ。
そういえば、ハローワークでは席があっても座らずに立っていた若者も沢山いたな。素晴らしい。
さてギブしてますか?シニアの皆さまがた。えっ?まだ愛され感が足りていない?
人は全く愛されなかったら生きていけないそうだ。
生まれてから世話をされ、食べさせてもらい、社会の中で生きてゆく術を教えてもらって今に至る。
少し待たされただけでイライラしないで、ギブの人生を生きましょ。
それではまたね。ごめんなさいませ~。


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