たまたま近くを通りがかったので、前の職場に寄ってみた。
敬老の日で病院の外来は休み(医師もオンコールで用事がないと病棟にいない)。電話して今忙しくないか確認し、お彼岸なのでおはぎを買って訪問した。元同僚たちは皆笑顔で迎えてくれた。勤務中なので長話は出来なかったが。
そこはかつて私が働いていた時と変わらぬ時間が流れていて、でもそれは、まだ離職して3か月なのに随分昔の事に思えた。もう私が戻る事のない世界。過ぎ去った時代の一部になったのだ。
「去る者は日々に疎し」というが、その後に続く「来たる者は日に以て親し」はあまり知られてない気がする。私のリストラ生活もいつかは必ず終わり、新しい職場の人たちと関係を築いていくこととなる。諸行無常ということだ。
人生○○年周期説?
今年79才になった義母(私の父の3度目の妻)が、自分の人生は20年毎に大きく変わったと言う。
最初の結婚をする20代前半までの時代、その後の結婚生活、そして自分の母の世話をしながら働いた時代、そして60代初めに父と知り合ってから。(その時父は70代だった)
それらが全てほぼ20年毎だったと。そして今回20年近く住んだ郊外の大きな家を離れ、終の棲家として選んだこじんまりして便利の良い街中の賃貸住宅に移り住むことを、「その周期が来たから」と言った。そうやってポジティブに受け入れてきたのだろう。
この20年人生周期説は案外当たっているかもしれない。
私も22才で就職し、24年でそこを退職し、職場が変わった。そのまま行けば、その20年後位に年金生活に入ることになったのだと思う。
ところがコロナ禍でまさかのリストラ。そこで働いたのはまだ12年余り。あれ?
私の場合は12年周期?30代半ばで何かあったっけ?思い当たる事が無い事もないが。
人生は変化の連続だ。こじ付けようと思えば何だって言えるけどね。
まず、肉体的に人間は20年毎に変わっていく。ハタチで成人になり、40才で中年突入。もう自分は若くないと悟り始め、トドメは60才。あとは坂を転げ落ちるばかり。
昔はそれから10年も経たないうちに人生が終わっていたのだが、今はもう一つ80才の節目がある。
そこから何が変わるのだろう。敬老の日のテレビで日本一の長寿のおばあちゃんが出ていた。なんと御年117才!100才の節目も超えたということか。大好きだという炭酸のビンのジュースを上手に飲んでいらした。
人間は変化を嫌う。慣れてない事をするのは不安が付きまとうから、出来るだけ現状維持にしがみつく。だから大抵大きな変化は、本人の意思に関係なく否応なしに降ってくる。それをどう受け止めるかで、その人の幸福度が決まるとか。その後の行動も受け止め方次第なのだから。
コロナで人生が大きく変わった人は多いだろう。この変化を後から振り返って「大変だったけど、悪くはなかった」と義母のように受け入れたいものである。
年をとるとせっかちになる?
「特に最後の20年(いや、まだ最後じゃないだろう)は早かった」と義母は言う。
60才過ぎてからあっという間だったと。ということは今からの私の人生はあっという間なのか?
子育てが終わり、家族のイベントごとといえば後は子供の結婚ぐらい?
確かに自分でいろいろ行動を起こさなければ、何も無く過ぎていきかねない。
そのせいなのかどうなのか、私の知っている高齢者はせっかちが多い。脊髄反射で行動してないか?と思う人もいる。今やらないと忘れてしまうからか。(もちろん例外もありでしょうけど)
時間もたっぷり持ってるので、いつする、今日する、明日するでサッサとやってしまう。
いや、悪いと言ってる訳ではない。しようと思っていてもグズグズといつまでもやらない人の方が多いのだ。行動的なのはおおいに結構。
ただ、うがった見方かもしれないが、待つ楽しみを捨てているように見える時があるのだ。先が短いかもしれないから待っていられないと。
例えば旅行や外出も、行く先をある程度リサーチしておかないと、せっかくの観光の説明をきいても「へえ~」で終わってもったいなくない?まあ、楽しみ方は自由だが。
私は旅行はしっかり下調べをした上で現物を見たい方である。その為には行く迄に一定期間が必要だ。子供の時の遠足のようにイベントにはワクワクして待つ楽しみがある。
たとえ近場でも「じゃ、明日行こう」ではもったいなく感じてしまうのだ。(その日しかメンバーの都合がつかないなら仕方ないが)
行楽なら、行った先でレストランに入るとかコンビニで弁当を買うのではなく、どんな行楽弁当作ろうかなとメニューを考える事から楽しみたい。
余談だが、予定を立てるのが嫌な人もいる。今の若い世代のデートは昔と違うらしい。
昔のデートは男がデートコースや入るレストランを選定し、その企画力をどうだ!と彼女に示した。
女はそのセンスや気配りなどと総合的に企画能力を判断し、彼氏としての評価を下したものだった。
今は「どうして男がそこまでしなくちゃいけない?」や「彼女の好みと違ったら骨折り損」か。
会ってから「今日どうする?」と相談するカップルが多いとも聞く。
予定を立てるのが嫌いな人は、せっかく立てた予定が想定外の事で変わる(あるいは自分の気が変わる?)のがイヤなのかな。
生き急ぐ、とは
看護学生の時に血管系の難病を持っていた同級生がいた。現在は生活に支障はないが、進行具合では長く生きられないかもしれないと医師から言われていると。
彼女はとても行動的だった。恋愛にしても何でも。彼女に連れられて田舎者の私は、当時流行っていたディスコにも行った。彼女は何処に行ってもすぐに友達を作り、精力的に遊んだ。
しかし横でみていた私はこういう印象を感じた。「生き急いでいる」と。
まるで、2年位しか寿命のないハムスターが始終ちょこまか動くように。
気持ちはすごく分かる。私も同じ立場だったらそうなっていたかもしてない。
そうなるのは、彼女の場合は難病というファクターがあったが、高齢になれば余命が短い可能性という所だろうか。
調べてみれば「生き急ぐ」のはそういう理由もなく、ただ性格的にそういうタイプもいるらしい。
何もしない時間はもったいない、人生の無駄だ。あれもしたい、これもしたい。
だからゆっくり考えず、自分の都合で直ぐに行動したがる。
待たせるのも待つのも嫌い。(時間を無駄にするから)
ヤバい、以外と私にも当てはまる。気をつけないと私も「高齢者生き急ぎ組」にまっしぐらだ。
「生き急ぐ」のは悪い事ではない。時間を無駄にしないから、勉強家で仕事も早い。
行動的なので成功しやすい。何よりポジティブ思考の人が多い。
問題は時間を自分の尺度で測るということ。
たとえば、次のような事である。
1.ゆっくりマイペースの人にイライラして、せかしてしまう。特にSMSのレスや待ち合わせ。
2.すぐ行動しない人には行動できない事情があるという事を考えるのを忘れる。(けっして出来ない訳ではない)
3.自分が動くことで周りがどんな影響を受けるか深く考えない。
4.チャンスは絶対逃したくないと思っているので、十分な計画を立てずに始めてしまう。
などが起こり得る。
人間いつ死ぬか分からないのだから、人生を悔いなく生きようと思うのはいい事だと思う。
チャンスが来ても迷ってばかりで計画倒れになるよりは遥かにいい。
だが年をとってきたら、多少はそういう傾向が自分にも出てくるかもしれないと自覚して、時々立ち止まってみるのはどうだろうか。もしかしたら急がなくても人生はまだまだ長いかも。
思い出作りに奔走しなくても、「あの頃は何も辛い事が無くのんびりできて、幸せだったなぁ」と後になって思うかも。たとえば、今。
それではまた。ごめんなさいませ~。


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