「○○する勇気」という本がベストセラーになったが、人間何をするにもいつもと違うことをするに関しては多少の勇気が要る。車でいつもと違う道を通る。仕事で初めての事をする。そして知らない人ばかりの集団の中に入る‥。
どこか間違わないか、失敗して恥をかかないか。特に日本人は失敗を恐れる民族と言われる。いわゆる血液型性格診断ではA型気質?(血液型で性格分類するのも日本人だってね)誰だって失敗よりは成功がいい。だが失敗の無い人生はありえない。むしろ失敗があるから成功があると説いた書籍も数多い。それでも失敗の可能性が高くなる『初めての○○』に足を踏み出せず、「したいけどなかなか始められないのよね~」となる事は日常茶飯事だ。
やめる勇気を持っているか
ところが何かを始める以上に必要かもしれないもの。それは「やめる勇気」である。長い間続いた事を自分の意志で止めるのは勇気が要る。ほとんどが、リストラのように無理やり止めさせられる事で止めざるをえなくなるのだが、そういう時は悲しいが諦められる。
しかし、その仕事や職場を自分の意志で辞める時。離婚など人間関係を断つとき。長い間住んだ所を去る時。なかなか勇気が出なくてズルズルと先延ばしにしてしまう。やって失敗だったら取り返しがつかないと思うから怖いのだ。ブラック企業なのに辞められない。DVなのに別れられない。年取って施設に入るのは嫌だ等。「もうちょっとしたら事態がいい方向に変わるのではないか」とありもしない可能性(100%ゼロではないが)にすがってしまう。
変化=不安である。やっても安全なことだけを延々と続けていれば、命の危険は無いと本能的に知っているからである。何かを止める事は代わりに何かを始める事でもある。止めたことでぽっかり空いた穴を何で埋めよう?そう思えればまだいいが。
昨日10月8日に昨年(2019年)4月におこった「池袋暴走事故」の初公判が行われた。当時88才の男性の運転する車が暴走し死傷者を出した事件である。運転者当人は当初車の不具合を原因と訴えていたが、調べによるとそういう事実は出てこず、やはり操作ミスを問われた。
何事も決めつけはダメだが、いや、誰が見てもこの年齢ではその可能性を考えるだろう。しかも足腰もあまりしっかりしてなさそうなのに運転するなんてと。この男性は『運転を止める勇気』が無くてここまできてしまったのだろう。それまで幸運にも事故を起こさずにやってこれていたのではないか。こんな大事故の前に、小さな自損事故でも起こしていればもっと早くに止めれたかもしてない。
それでも止めれない人はいる。妙に自分に自信のある人だ。例えば私の父のように。私の父は田舎に住んでいたのもあって何処に行くにも車。70代になっても仕事などで遠方まで3~4時間運転するのもザラだったので自信はあったのだろう。しかしある時から立て続けに事故を起こしだした。追突したり田んぼに落ちたり。そして脳梗塞を発症し、救急車で病院へ。どうやら視野が狭くなっていたらしいのだ。私が全てを知ったのは入院してからだった。本人に視野狭窄の自覚があったかどうかは聞いていない。が、「立て続けの事故でも(おかしいと思いながら)運転を止めようとは思わなかった」のは恐ろしい。取り返しの付かない事故を起こしていたかもしれないのだ。後遺症で手のしびれなどが残ったので(それですんでラッキーだった)当然車の運転はドクターストップがかかった。
今も高齢者の交通事故は後を絶たない。認知感覚や運動反射は個人差があるとはいえ、年齢を重ねると確実に衰えていく。それに対応する車の性能も上がって行くだろうが、ただでさえ車は高額だ。そんな高性能な車に乗る必要がある高齢者はどれほどいる?各自治体はリーズナブルな公共交通機関のパスを用意していて、年金に頼る生活をしている高齢者はそっちのほうが断然経済的だし。農業などで農道を軽トラで走る以外は、80才までには免許返納した方がいい。(と自分に言い聞かせている)
始める勇気の為の準備
コロナ禍で、止めたくないのに止める決断をした人も少なくないだろう。経営が立ち行かなくなった会社や店。そして感染が拡大する恐れがあると言われるイベントや趣味。仕事でなら仕方ないと言われても『個人の楽しみ』で感染でもした日には何て言われるか分からない、また自分も後悔するからと。
しかし勇気をもって一時止める決断をしたが今や世の中は緩和の方向に向かっていて、今度は始めるきっかけに迷う。そのまま止めてしまうのが簡単だからである。
思考もそうだ。考えないのが一番楽。だが、これの兼ね合いが一番むずかしいよね。考えなきゃいけない事を放棄して、考えてもしょうがない事をグジグジ考える。この考えてもしょうがない事の大半は不安だと思う。悪い結果を妄想しての不安や心配。それって心配だけしてて、悪い結果の場合の備えをしてないからじゃ?(後はその時のみっともなくて恥ずかしいという自分の感情の処理)
例えば、「大学受験に失敗したらどうしよう。」この場合、落ちたら
1 滑り止めの私立にいく。
2.浪人する。(再チャレンジの為の勉強)
3.仕事をする。
この3つしかない。(ニートはナシね)どれかに心を決めるのである。そしてその準備も少しは進めておく。そして家族にもその旨を伝えておくのだ。そうしたら、家族も準備が出来る。(心とか環境とか)悪い事だけ考えるのでない。人間は思考がフォーカスした方に物事を寄せていくというからね。もちろん合格した時の楽しい妄想も考える。
私の場合の不安は「雇用保険給付期間が終わっても、希望の就職が見付からなかったらどうしよう」かな。希望する仕事とは『生活できる収入』『週4日以内のパート』『助産師として』の条件が満たされること。なかなかハードな条件になっている。収入がねぇ。家のローンがあるからね‥。
優先順位もこの順番である。(助産師最後なんだ‥。)
この場合の道は4つ。
1.希望に合う職場が見付かるまで貯金で生活しながら探す。
2.看護師として他科の病院でパートで働く。
3.どこでもいいので助産師としてパート働く。
4.どこでも何でもいいのでフルタイムで働く。
1はまず無い。ただでさえ少ない老後資金を食いつぶすのは悪策だ。それでなくても失業保険支給額では赤字なのだ。もし給付期間終了前に見つかれば即就職する可能性はある。
4も無い。フルタイムだと私の心と体を守ってくれている趣味が継続できない。もう若くないし、今の楽しいフリーダムな生活からいきなりフルタイム勤務はもう無理だろう。というかイヤだ。
という事は2か3.あとは条件と交渉次第という事になる。収入から考えたら3の可能性が高い。看護師としてのキャリアでパートでは収入は期待できない。
今の所、助産師としては若くてフルタイム、という求人ばかり。パート雇用の交渉が必要だろう。一つの病院だけでなく、ダブルワークの可能性もある。今から交渉時期や条件を固めておかなくちゃ。
思考停止はしていられない。いつかはこのお気楽なリストラ生活をやめる勇気を出す日が来るのである。
それではまたね。ごめんなさいませ~。


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